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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第11回 リアルハリウッド 〜スクランブルエッグ〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


雨ざらしのキングコング
アメリカ人の中で初めての演技のレッスンは終わった。一緒に住んでいた友人はアメリカ人だったけれど、それを除いて初めてアメリカ社会に参加した感じだった。きっと自分一人で飛び込んだからそう感じたんだと思う。英語以外の言語が無数に飛び交う語学学校は「これぞアメリカ!!」とは冗談でも言い難かった・・・だからこの経験はアメリカでの全く新しい経験になった。

俳優学校からの最初の課題は英語で台本を覚えることだった。日本語ですら台本を覚えるのには労力を使うのに英語でなんて全く想像が付かなかった。友人に台本読みの練習を手伝ってもらいながら覚えていった。そこであることに気づいた。自分にとって卓上で台詞を覚えるには時間がかかった。でも、口頭でやると覚えるのは100倍簡単だった。そうこの方法は日本で養成所にいた頃に漫才の練習をしたときに用いた方法だった!!こんな形で過去が自分をサポートしてくれるとは思いもしなかった。

台本を覚えたり、英語の劇作品を本で読んだり、演技のパートナーと会って演技の練習をしたりした。ようやくやりたいことをやり始めることができた。こうして語学学校と演技の学校をはしごしての生活は始まった。

この頃、オーディションへの応募は控えめにしていた。このときの自分にとってすべてのことを同時進行させることができるほど余裕がなかった。だから今、目の前にあることに集中しようと思っていた。とは言っても、あまりオーディションに参加してなかった理由としては、情報量の不足もあった。日本だったら「年齢」と「性別」だけが当てはまれば、どんなオーディションにでも少なくてもちゃんと応募ができた。でも、ここではそれらとは別に「自分がどのオーディションに参加すればいいか」、「オーディションが怪しくないか」などと気を遣わなければいけない要素が増えた。まず、正確で信頼できる情報源を見つけるのが先決だった。まだ、渡米してから数ヶ月やそこらの自分には千里眼を養う必要があった。現に書類審査を通過しても怪しくて行かなかったオーディションもある。あるアメリカ人ではない友人が話していたけれど、アメリカに来たばっかりのときにスーパーのレジで会計をしようとしたときにお釣りを誤魔化されたと言っていた。このときの彼には相手と英語でしっかりコミュニケーションを取る英語力がまだなかった・・・日本のスーパーでいくら外国人がいたとしても、誰もお釣りを誤魔化して自分のポケットに入れるなんてことはしない。そうアメリカでは隙を見せればやられてしまう。弱みを見せればつけこまれる。だからアメリカでしっかり生きていくためには、強くなる必要があると強く感じた。だから表紙の画像はキングコングにした。という訳ではありませんが(笑)

11月になった。2007年の11月は映画業界に関わる人や目指す人、カリフォルニアに住む人にとっては厳しい月になった。自分は偶然にも両方の条件に当てはまった・・・

まず最初の事件は作家のストライキだ。このストライキはハリウッドの映画業界に大きな影響を与えた。この頃、ようやくオーディションを見つける方法がわかり始めていた自分でも、オーディションの数が著しく減少したのが目に付いた。作家のストライキは自分に影響を与えないだろうという考えも甘かった。どうやらすごい時期にアメリカに乗り込んだらしい。唯一の救いは、演技を学び続けることは継続してできることだった。

曇る太陽そして、もうひとつ起きた事件と言えば「カリフォルニア大火災」。普段は乾燥して過ごし易いカリフォルニア。雨も少ないので普段草木は枯れ果てている。そんな木々に火が付いたら恐ろしい。そして、その最悪の出来事が起こってしまった。地元の近くの地域までは火が及ばなかったけれど、友人たちに比べ若干の田舎に住んでいた僕らは気を抜くことはできなかった。空は黒い灰に包まれ、異臭が街を漂った・・・毎回車を運転する前にワイパーでフロントガラスを綺麗にしなければいけなかった。真昼間から外は暗くなり、本当に予断を許さないような状況に思えた。窓が開いていたため部屋にはこれから数ヶ月は灰の匂いが残ることになる。そして、ロサンゼルスのダウンタウンでは、非難してきた人で街が溢れたために道路の一部封鎖されるなどの事態までなった。火は自分の家まで及ばなかったとは言え、自分もこの事件の当事者だと自覚をせざるを得なかった。
何日かが過ぎようやく鎮火した。それから数週間は外でもまだ灰の匂いが残っていたけれども。作家のストライキに関してはこの時期から長期に渡り、行われることになる・・・

この頃の時期って自分にとってはアメリカの9ヶ月の滞在の中でちょうど中間地点になる。もちろんこの頃はきっと1年以上ここにいるのだろうなと思っていた。そして、そんなときに家族から一通のメールが届いた。メールを開いて読んでみると信じられない事実が書いてあった。それは、なんと両親がロスにやってくるということだった!!このときあった予定では、夏に一度日本に帰国して、そこで家族にまた会うことになると思っていた。どうやらロスに来るのは、父親の仕事で偶然のことらしい。嬉しい気持ちの反面なんだか意味がわからなくなった(苦笑)一緒に海外旅行するのとは訳が違う。自分が住んでいる場所に両親が尋ねにやってくるという奇妙な感覚だ。それからしばらくしてロスで家族対面するという可笑しな体験をすることになる・・・

自分の夢を追って国境を越えてきた。その夢の地での家族との出会い。逆らうことのできない自然や社会の大きな力。この頃は役者として勉強したことよりも、アメリカで生きるということについて学んだことの方が多かったのかもしれない。


続く・・・


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