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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第8回 リアルハリウッド〜駆け出し〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


とある自然公園にてカリフォルニア免許と自分の車の入手。単純なようであったけれども、アメリカに来てから最初の小目標を達成した気がした。でも、やっぱりこのときの若い僕にはこの後何が起こるのかがさっぱりわからなかった・・・

まずはこのときの学校生活について少し・・・語学学校の位置はダウンタウンのすぐ近く。今までは通学時にローカルな電車と地下鉄と徒歩で約1時間をかけて登校していた。何が大変だったかって、それは灼熱の夏の陽気の中毎日約20,30分歩かなければいけなかったこと(汗)焼け付くような太陽の光。乾燥しているからか。たまらずにサングラスを買ってしまった。アメリカ人がサングラスをかける意味を身をもって少し理解できた。その後9月頃からは運転して車で学校に登校することになった。これからはフリーウェイが通学路だ!運転をなめてはいけない・・・通常早ければ45分で学校に到着。そして、渋滞していると・・・(LAのフリーウェイの渋滞は毎年悪化している)
渋滞しているとなんと学校に到着するまでの時間が・・・

約2時間

2時間・・・日本から続く電車生活にようやく終止符が打てたと思ったらこれだ。運転するのが楽しくてしょうがない時期だったのが最後の救いだった。とにかく学校に行き続けなければアメリカには滞在できない。嫌だななんて思う隙もなくこの生活を続けた。そして、このときの僕にとっては語学学校に行くことに本当に意義があった。今まである程度は練習してきた自分の英語がネイティブ相手だと通じないことが多々あった。自分の英語の実力のなさを悔しく思った。このとき語学学校ではの僕は一番上のレベルから2つ下ぐらいのクラスにいた。だからすぐにすべてのクラスをコンプリートして、卒業すると心に決めた。当面は英語力をある程度付けることに専念することにした。でも、語学学校って怖い。それは、いようと思えば4年間ぐらいだっていることは可能だから。だからその期間はアメリカに留まることができる。そんな安定は僕には必要なかった。安定を求めると同時に自分の成長が止まってしまうんじゃないかと思った。僕は英語をひたすら勉強した。でも、しばらくの間はまるで効果がないかのように自分の成長が感じられなかった。

9月。もちろん役者としてのことを何もせずにいたわけじゃない。まだ役者として前に出る準備ができていなかったのはわかっていたけれど、何かできることがないかと思った。そうしていて偶然見つけたのが、日本人レポーターのオーディション。オーディションをやる側も日本人だ。レポーターの経験もレッスンも受けたこともなかったけれど、とりあえずアメリカでオーディションを受けに行きたかった。そして、オーディションに行った。結果はどうだったか??それは・・・言うまでもなく落ちた・・・リポーターとして何ひとつ足りてない自分に、使っていなくてさらに悪化した僕の日本語力が悪い形で後押しした。それともうひとつ受けたのは、ダンサーのオーディションだ。これもある有名な日本人のバックダンサーを募集ということでだった。ダンスは当分の間踊っていなかった。ダンスだってそんなに甘くはない。ことごとくそれもオーディションに落ちた。受けたオーディションは日本人のオーディションだけではないけれど、このふたつが僕がアメリカで受けた日本人による日本人のオーディション。このときはハリウッドで行われていたオーディションにとにかく参加してみたかった。かなり狭いハリウッドの道に挑む前に少しいろいろな世界を覗き見てみたいと思った。そして、英語力のない今の自分にできることはダンサーやモデルなのかもしれないと思っていた。

モデルについてはどうだったか??それについても何もやっていなかったわけじゃなかった。モデルについても勉強した方がいいんじゃないかと思い、ネット上で情報を探しているときだった。学校が始まってから2,3ヶ月がすでに経過していた。クラスメイトの何人かは自分の国に帰らなければいけないということでお別れ会をやることになった
。学校で最初にできた友人のエルネストはエルサルバドルからビザなしでアメリカに来てビザを拒否されて半強制送還みたいになってしまった。アメリカがシビアな国だと再確認させられた。彼とはそのお別れ会でまたアメリカで会うことを約束した。しばらくして僕らが帰ろうとしたときにあるタイ人の男から声をかけられる。その場所はタイ風のレストランだったからタイ人が多い。何だと思ったらいきなり「モデルをやらないか?」と言われた。強いアクセントからネイティブではないことに気づく。こんなにすべて簡単に思い通りにいっていいのか??と疑問に思った。そして、「考えておきます」と伝えその場をあとにした。

それから数日後、やっぱり違う世界を少しでも経験しようと思った。そして、電話して彼に会うことになった。それから彼に会って内容を確認することにした。どうやら来年にあるアメリカのアジア人のNo1を決める大会にモデルとして出てみないかということだった。彼も昔はモデルをやっていたらしい。今は地元のローカルチャンネルのために働いているということだった。まずは学校の終わりにレッスンを受けることになった。週に1,2回のレッスンを受け、僕はモデルの映像を見て勉強をし始めた。そして、そのあと偶然にもそのタイ人が育てている先輩に会うことになった。これはいいチャンスだと思った。それは、上の人を見れば、自分がどこを目指すことになるかわかるからだ。そして、実際にみんなで集合して会うことになった。僕以外はみんなタイ人でタイ語が飛び交う。日本人を受け入れるのは初めてらしい。ただその場所の先輩達は正直言ってパッとしなかった。タイのコミュニティでは名が通っているらしい。でも、これからそのコミュニティを抜け出してアメリカのエンターテインメントでやっていく気が本当にあるのだろうと疑問に思った。とりあえず、その場は解散した。

家に帰ってから考えた。まず自分はアメリカでアジアのコミュニティの中でチャレンジしたいわけじゃないと思った。だったら日本で挑戦する。それとモデルについても思ったことがあった。トップモデル達が花道を通る映像を何度か目にしたけれど、正直服に合わせて体作りをして、自分を表現するということに魅力を感じなかった。その世界を否定するわけではないけれど、商業的な匂いがプンプンすると思った。これは・・・僕は一本の電話を入れることにした。そうこの電話で始めに思っていた通り、本当にモデルの世界での経験は少しのものになった。これからも自分の中で何か劇的な変化がない限りはモデルの世界には足を踏み入れないだろうと思う。

始めて足を踏み入れたモデルの世界。そして、今まで3年以上もいたダンスの世界。このときの自分が求めているものはどちらにもなかった。この時期に役者としてのキャリアを積み上げることはできなかったけれど、本当に自分が目指しているものが少しはっきりした。そして、ダンサーとしての自分とはここで決別することができたのかもしれない。

ハリウッドに着いた。でも、それで僕はまだ本当のハリウッドの場所を見つけ出せずにいた・・・


続く・・・


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