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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第6回 ハリウッド挑戦者〜足跡其の六〜(完結編)
渡辺竜平のハリウッド片道切符


リトル東京さん

いよいよ過去の自分がグランドフィナーレを迎えるときがやって来た!!

現在の自分に追いつけ、追い越せでやってきた。追い越しちゃったら駄目か(笑)空想小説みたいになってしまうかも。まあ余談はこのくらいにして本題に入ろうと思います。今の自分の行動をもっと理解してもらうためには本当に伝えたいことがたくさんあったのです。自分自身こんなに自分の人生を流れを追って考えたことはありません。僕の人生を棒グラフで書き表せって言われたらきっと厳しかったでしょう。もう何のことかさっぱりだと思うので、そろそろ本題へ・・・

2006年の3月、僕が19歳のとき。このとき、いよいよ社会の中に何の背もたれもなしで放り出された。正確には、自分自身で自分を放り出した。もう何も残っていない。貯金だってなかったし、どこの事務所にも所属していなかった。さて、何をやろうか??
このときには、俳優をやりたいという気持ちが固まっていた。ただ、後はどうやってやろうかということだけだった。本当に何もないところからのし上がって初めて本物になれるとは思っていた。自分自身を益々地味な方向に追いやって、どんどん苦境に追いやっているのは、他ならぬ自分だった。でも、だからこそチャレンジができる。あの中学生ぐらいの頃から持っていた自分の限界に挑むというまた初心に返った気持ちがした。さあどうしようか??自分の中の本当の自分に話しかけた。本当に落ち着いて自分自身に心で話しかけると、他の人に譲る気持ちとかのない本当の原形の自分が答えを返してくれると思っていた。それをまた実践してみた。そうあの某有名事務所を自分の決断で辞めたときのように!!今回も答えを見つけるのに時間がかかった。まず最初にやったことは、このとき僕にあった選択肢を洗い出すことだった・・・

一番目の選択肢は、また事務所(もしくは劇団)を探し当てること。事務所に所属することイコール、仕事をする大きなチャンスを得られることは間違いない。二番目の選択肢は、また養成所に所属して自分自身を鍛え上げること。これがだいたいの人が俳優になる前にやらなければいけないことだと思う。ただ、僕にとって両方とも一度は経験したことがあることだった。また、同じ流れを繰り返すのか??僕は全く同じようなことを繰り返すのが好きじゃない。だから他に選択肢はないかと思った。このとき僕はどんなグループや団体にも属していなかった。(家族を除いては)でも、それは決して悪いことに思えなかった。失うものがほとんどないことは、同時に僕に自由を与えてくれた。僕は友人といる時間も一人でいる時間も両方とも好きだ。何でかって、友人といるときはいろいろな会話をして楽しめるし、一人でいるときは自分の本質と向き合うことができるから。だから、このときは人生の中で素の自分と向き合うことができた。好きなことをやろう。他の人と違うことをやろう。求めていればアイデアは突然、頭に舞い込んでくるものだと思う。ここでそうだ京都に行こうと思ったわけじゃない。ここで思ったのは・・・

ハリウッドに行こう!!

今まで人生でやってきたことがようやくすべて繋がった。人生の中でやってきたすべてのことがハリウッドに行くことに関しては100%の意味をなしていた。第一回連載の中で僕は幼稚園児のときに金曜洋画ロードショーから大きな刺激を受けたと書いているけれど、どうやらこのときの刺激は静かに、微かに僕の中で生き続けていた。これを見つけたときはきっとタンスの裏に落ちたピアスを見つけたような気分だったでしょう(笑)今の僕には本当に何も残っていない。あるのは時間と自由だけだった。だからこの間に日本でダラダラ俳優になるために勉強するよりかは、本場の世界に数年でもいいから触れてみたいと思った。その理由は将来この経験が必ず役に立つだろうという根拠のない自信を持っていたから。そして、他の人とも違うことができる。そして、何よりも今まで日本人が達成し得なかったことに挑戦できるという気持ちが強かった。さぁ夢のために盛大に散ろうという気持ちがあった。それはアメリカがまだ相当危険な国という気持ちもあってだった。自分が腐っている間に死んでしまったら悔いが残るけれど、自分の夢に近づこうとしている間に死んでしまっても悔いはないと思った。それだけ命を懸けてやらなければと思っていた。

さあ夢を掲げたら後は行動に移すのみだった。とにかく最初は3ヶ月だけでも下見しに行きたいと思った。まずはアメリカについて勉強して、自分が好きな場所かどうか知りたかった。逸る気持ちを抑えきれずに明日にでも飛び立ちたい気持ちが強かった。さぁ何が必要か??早速夢を叶えるために必要なドラゴンボールを集めに行こうと思った・・・

まず必要なものはズバリ英語だと思った。英語ねぇ・・英語!?これはめちゃくちゃ僕にとって親しみのあるものだった!!中学2年生からの英語好き。そして、英会話教室。まさかここで今まで英語をやってきた努力が報われることになった。兄と母からはよく英会話教室を辞めてから英会話教室のお金をドブに捨ててどうするの??とチクチク刺されていた(汗)だけれども、そういう周囲の悪い期待を裏切り、英語を人生の中で絶対に使うことになるという僕の読みは的中した。一年越しにまた英語に漬かる事にした。ただし、今度は英会話教室に頼らずに。

他に必要なものといえばまず情報だった。アメリカについて無知もいいところな自分。住む場所や滞在期間。学校に行くかどうかなどの考えが頭を巡った。堂々巡りのようにいろいろな考えが行き交った。行く時期もこの年の年末ぐらいに行くことを目標にしようと思い始めていた。

そして、やっぱりお金も必要なものだった。目標のためだからしっかり働くしかないと思った。今までは普通の仕事をして、お金を稼ぐことがあまり好きではなかったのだけれども、もう選択肢が残ってなかったので、本当に仕事をするということを真剣に捉え始めた。ようやく、今までの仕事に対する変な偏見を捨てることができた。誰かを頼って、運良く誰かが何か良い物を運んでくれることを待ってはいけないと思った。確実に必要なものを手にするには、自分を頼れ、自分で道を切り開くしかないと思うようになっていた。

あと必要なものはこれだ。一番必要で絶対に忘れちゃいけないもの。パスポート。このときの僕は19歳。十代だと5年分のパスポートしか取れない。だから僕は誕生日の6月まで待つことにした。初めて自分の誕生日の時期が大事だと感じた。そして、二十歳になってからパスポートを十年分取ろうと思った。

まだまだ、必要なものはあったかもしれないけれどとりあえず必要なものはわかった。こうして、僕は周囲から見たら普通のフリーターとして、大望を抱き働くことにした。これからは社会を経験することになる・・・

目標を実現するためにやる仕事は正直何でも良かった。ただ、その仕事が普通は経験できないことだったり、手に職つけられるようなものだったらなおさら良いと思った。だから僕はいろいろな世界を実際この目で見て、体験したいと思った。ときにはダブルワークをすることもあった。今までやってきた仕事は結構ある。スポーツジムのトレーナー、コンビニ店員、バーの店員、警備員、ウェブ関係、倉庫内作業、電話営業、営業、カメラマンなどなど。人生でやってきた仕事はそれらと業界内での仕事。自分にとってアクティブな仕事は相当合っていると思うけれど、あまり動かない仕事だと苦痛を感じることもあった。やっぱり自由でもっとクリエイティブになれる仕事をやっているときにやりがいを感じた。それが例え将来のために選んだ一時的な仕事でも。そして、僕は働き続ける・・・

気が付いたらもう20歳。20歳の誕生日に親しくしてもらった人達に祝ってもらえた。人生の中で自分の誕生日に何かやってもらうことはそんなに多くなかったので、とても嬉しかった。そして、僕は十代のときに周りに流されてお酒を飲んだりしないと決めていたので、この日初めてアルコールを口にした。人に流されることが嫌いという頑固さが良い方向で現れたのかも(笑)正直、ビールの美味さなんて全く感じなかった。ついに運命の20代に突入した。すべての責任とともに、自分の新たな可能性が拡がった事を感じた。早速、大使館に行きパスポートを取得した。大使館の厳粛な空気は今も忘れられない(笑)パスポートの取得に遅い人は3ヶ月かかると聞いていたので、いつになるか少し心配だった。でも、確か5日でパスポートの結果が届いた。無事に取得!!これで僕は、初めて写真付きの身分証明書を手にした(笑)出発予定日までの時間は刻一刻と迫っていた・・・当初の予定では、30、40万円でも貯めて年末からアメリカに行こうというものだった。でも、これはいろいろな理由から実現不可となった・・・

こんなことをここで書くのはどうかと思うけれど・・・ひとつは家庭の経済の悪化。家のためにもう少し日本に残ってくれないかと言われる。今まで立ててきた計画。自分の夢を取るか、家族を取るか。正直、この選択には苦悩した。いつかはそれを選ばなければいけないときが来るのをわかっていたけれど、こんなに早く来るとは思いもしなかった。本当に悩んだ。そして、僕の下した決断は日本に残るだった。ここで自分勝手にやっても後悔するだけだと思った。そして、正直たったの3ヶ月でアメリカで何が学べるだろうという疑問も日本に残った理由のひとつ。こうして、僕は延長して日本で働くことになった。このときはちょうど短期のカメラマンの仕事をすでに辞めていた頃だった。また、しばらく日本で働くことになる。これから仕事探しが始まる。そして、そんなときに自分の運命と出くわすことになる・・・

カメラマンを一緒にやっていた友人の一人が、僕に急に尋ねてきた。俳優を目指してるんだってねと。そして、彼の友人が監督志望で映画を作ってて人を探しているから今度会ってみないと言われた。

それからその監督に会うことになった。

このときの僕はまた半年間日本に留まると決めていた。だからその期間内でもっと経験するためにその監督の映画に参加させてもらうことになった。
撮影予定期間は準備を入れて3ヶ月。これならアメリカ行きの準備を進めながらやっていけると思った。実際は撮影に6ヶ月かかり、アメリカ行きの直前まで撮影をすることになった。

ここで肝心な英語について。英語に関してはペンパルとかとインターネットを通して、会話したりして少しづつ空いている時間に磨いていった。現実での友人も何人かでき益々英語を使う機会を増やしていくことができた。そして、英語の勘を少しづつ取り戻していった。でも、まだ僕のRとLの発音はボロきれレベルだった。

仕事は営業系の仕事を見つけた。今まで十代の頃は選べる仕事が少なくて、本当に不当だと感じた。難しい、もしくは責任の重い仕事は若い奴らには任せられないような風潮が日本にはあるけれど、そういう年齢でくくられるのが一番嫌いだった。だから営業という年上の人ばかりが集まる場所で自分を試したのかもしれない。そして、この仕事をアメリカに行くまでの期間やることになる。

自主制作の映画に参加することで、自分が俳優の底辺にいることを体をもって実感させられた。すべての準備を自分達でやる必要があるし、誰かが優しい手を差し伸べてくれるわけでもなかった。僕がその監督に影響を受けた部分も多い。演技が下手で役作りの浅い自分に憤りを感じることもあった。もっと成長すると心に決めた。そして、このときから映画をより見るようになる。監督は若い俳優が俳優を目指しているのに、たいして映画を観ない意味がわからないと言っていた。確かにと思った。その世界を知らずして、その世界の飛び込もうとするなんて無謀なことのように思えた。だから僕は、今は映画をよく観るようにしている。失敗と失敗の連続だったけれど、ようやく撮影を終えることができた。この中で演技について少し掴んだ部分もある。まだまだ人と比べるレベルではなかったけれど。撮影を終え、いよいよXデーが近づいてくる・・・

どうやってアメリカに長く滞在するか。それは学生になることによって解決した。なので語学学生としてアメリカに乗り込むことになった。溜まったお金は100万円には満たなかったけれど、できるだけ長く滞在しようと心に決めていた。そして、住む場所は偶然日本を案内することになった友人のアパートだった。彼の家族も一緒だったので、これはルームシェアかホームステイなのかはもう僕にわかったことではなかった。彼と出会えたのも
、アメリカ行きを半年間遅らせたおかげだったので、結果的にはすべてが良い形で返ってきた。周りの友人や知り合いの人に最後の別れを告げた。でも、僕は悲しくなかった。それは、どんなに離れた場所にいてもお互い変わらないと思っていたから。ただ、顔を見て話すことができなくなるけれども。そして、アメリカに対する恐れは完全に0だった。新しい世界で生活する。そう思うともう興奮しかなかった。たったひとつだけ気がかりだったのは、ずっと14年間生活していた愛犬のことだった。家族も友人もきっと大丈夫だろうということはわかっていたけれど、犬の寿命は人間程長くはない。これが最後の別れになるかもしれないと思うとやるせなかった。格好悪いと思われるかもしれないけれど、そう思うと涙が溢れ出そうになった。例え彼が犬だとしても、もらったものはたくさんあった。そして、運命の日が訪れる・・・




6月30日

当日。空は晴れ渡り心地良かった。家族それぞれといろいろ話した。心に湧き上がるような興奮を感じていた。愛犬とのわずかな時間も過ごし、いざ出発した。両親が空港まで車で送ってくれた。空港では何人かの友人が僕を見送りに来てくれた。友人達と最後の晩餐を共にした(笑)確か僕はカレーを食べたと思う。笑い話ばっかりしていたし、写真も一緒に取った。そして、もう時間だ。家族と友人に別れを告げた。何か今でも忘れられない瞬間だ。そして、僕は空港のゲートをくぐりハリウッドへ向かう。みんなに告げた

じゃあちょっと行って来る!

と・・・

続く..



PS.3ヶ月間付き合ってくれた方、どうもありがとうございました。まさか3ヶ月もかかろうとは・・・
僕がハリウッドに行くまでの間、こんな人生を歩んできました。少し真面目に書きすぎていたらごめんなさい。

何かこれがお別れの挨拶っぽいですか??そんなことはありません。これからももう書くの止めてねって言われるまで書きます(笑)魂から力強く文章を書いていきます。僕の文章は実はよく見ると達筆なので、よく見てみて下さい。


そろそろ冗談が過ぎる頃なのでこのくらいにしておきます。また再来週から新しい章でお会いしましょう!

では!


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