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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第5回 ハリウッド挑戦者〜足跡其の五〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


フリーウェイより
レッスンを始めたい。その気持ちに答えるべく手始めに、日本の養成所がほとんど載っている本を買った。そして、穴が開くほどじっくりと目を通した。これまではずっと同じ事務所でやってきたから日本にこんなに養成機関があるのかと本当に驚いた。逆にいうとそれまで選ぶ作業が必要なかった僕にとって、良い場所を見つけ出す基準がわからなかった。探しているうちにある養成所を探す条件を決めることができた。第一に学校と両立できる週に数回のレッスンであること。第二にレッスン費があまり高くないこと。そして、第三の条件が事務所付属の養成所であること。最後の条件がこれまでの条件を満たしていて、なおかつ有名な人が一人でもいるところ。これが必須条件だと思った。レッスン費が安くてもちゃんとしたレッスンをしている養成所も、レッスン費が高くても特に何もしてくれない養成所も五万とあると今だから言える。そして、探し続けてひとつの養成所に行き着いた。このときなぜ僕がひとつの養成所しか選ばなかったのかわからないけれど、ただピンときたのは、そこの養成所だった。すぐに履歴書を送ることにした。このときは、気持ち的に本当に準備ができていたように思える。

しばらくして、養成所から返事がもらえた。一年以上振りにオーディションの封筒を目にすることになる。そして、面接に行くことになった。時期的には9〜10月ぐらいのことだったと思う。面接はコーヒーショップで簡単に行われた。例えば、やりたい動機などについて養成所の人と話しをさせてもらった。感触はまあまあというところ。しばらくして、一本の電話が入る。審査に通過しましたので、これからレッスンに来てくださいという内容だった!さぁここから養成所のメンバーになる。これから初めて、俳優のレッスンを受けたりすることになる。第二の人生が今始まろうとしている・・・

僕が高校生であったことを忘れないようにここで、少し学校生活について話したいと思う。高校3年生の半ば。未だ大学進学への葛藤はしながらも大学進学への可能性を捨てないようにある程度勉強をしていた。このときまでに以前と変わっていたことは、もし進学したら英語だけはやりたいということ。他の教科とかにはほとんど興味がなかったのだけれども、英語に関しての熱だけはこのときも中学2年生の頃から冷めていなかった。それじゃあとまた家からかなり近くて、英語について勉強できる大学を探し当てて、このままそこに進学をしてみようかと少し真剣になり出した。でも、僕の人生の違う一面が僕を大学進学とは違う方向に導くのだけれども・・・

ということでまた養成所について。養成所は都内某所にあり、偶然過去に通っていた場所と同じ街にあった。過去自分が何をしてきたか時たま思い出さずにはいられなかった。そして、過去の自分がこのときの自分に何度かぶつかる事になる。養成所では、いろいろな総合分野を伸ばすために歌や演技を勉強していくということらしい。そう僕は今まで目をつぶって来た自分の歌唱力と対峙しなくてはいけなくなった(汗)そして、演技とも。ダンスもまだ下手だったけれども、それ以上に自分が他のことは何もできないと思い知らされた。無力な自分が悔しかった・・・

レッスンを始めてから数ヶ月。このときまでには、僕は英会話をきっぱりと辞めていた。そして、大学受験もすぐ目の前まで迫っていたこの時期。ある日、養成所の人から呼び出しがあり、事務所に向かうことになる。何で呼び出されたか全く見当がつかなかった・・・とにかく学校が終わった頃にまた都内に向かい話し合いをすることになった。呼ばれた理由を告げられた。それは、あるドラマのオーディションがあるのだけれども、行きたいかどうか聞きたいということだった。一月から始まる学園ドラマについてのことだった!!ただ、それには問題があって、この時期にそういった仕事をすることになれば、大学受験と両立はできないということ。このときが11月頃。受かってから、やっぱり辞めますなんて許されない。僕はここで決断しなくてはいけなくなった。答えが出るのは早かった。「ドラマの方をぜひやりたいです」と養成所の人に告げた。そして、オーディションに行くことになった・・・

あるテレビ局でのオーディション。他のたくさんの俳優たちと出くわす。
彼らに勝たなくては、自分の役はないと思った。オーディションが始まった。経験のない僕は、出せる限りの力を出そうと思った。あっという間にオーディションは終わった。手応えがあったかどうかは正直覚えていない・・・

結果は数週間してやってきた。「合格しました」と電話で告げられた!!自分の耳を疑った。自分がテレビドラマに出ることになる。そのドラマこそが「ごくせん2」。本当に俳優としての最初の経験で、それと同時に僕の俳優人生のスタート地点。こうして、ドラマへの準備が着々と始まった。

訓練を積んだ他の若手俳優に囲まれて、僕は必死に喰らいついていこうとした。
俳優のレッスンをまだ数ヶ月しか受けたことがなかった僕には、それができる最低限のことだった。初めて、演技について考えさせられた。そして、キャラクターについても。今だって頭が良くないのに、このときの僕の台本理解力はひどいものだった(汗)同年代の共演者からヒントをもらったこともあった。こうして、あっという間の3ヶ月が過ぎた。本当にひとりでは、達成困難なことをやり遂げたと思った。周りの人が助けてくれることなくして、やり遂げられなかったと思う。言い表せられない感謝の気持ちが今でもある。ただ、このときできなかったことはいくつもある。だから、山積みになった課題の一部をこのとき発見できた。そして・・・

卒業。ドラマでの学園の高校生として卒業。そして、現実世界の学校の高校生としても卒業した。ドラマと現実が完全にシンクロしていた。周りの多くの仲間たちと別れを告げることになった。それは、人生の新しいページのスタートを意味していた・・・

とここで今日のコラムは終わりではないのです!!もう2ヶ月も過去について書いているので、そろそろもっと過去の自分を前に進ませてあげなくちゃいけない(笑)

新しい4月がやってきた。僕には養成所を除いては何も残っていなかった。そもそも、事務所の仮所属させてもらい最初の仕事をさせてもらった。だから週に一回のレッスンは変わっていなかった。そして、高校も卒業したわけなので、いよいよこれからすべての決断をするのは自分だけになった。何にも囚われる物はなかったし、逆に言えば何にもこの先見えるものもなかった。また人生0から始めるような心持ちだった。
まだ、僕もこのとき華の十代だった(笑)これからはレッスンとオーディションの日々が始まる。オーディションには落ち続けた。俳優としてはまだ入り口に立っただけの自分。自分のような俳優は数百人から数千人は日本にいる。その中で、自分は何も目立たない存在だったのかもしれない・・・

このときの僕の生活のもうひとつの一面。それはアルバイトをすることだった。夢を追うために全く夢とは関係ないことをやる。これがこのときの僕には本当に耐えられないことだった。以前にも書いたように、好きなことをやってお金をもらうという感覚がどうしてもこれを受け入れるのを邪魔した。何か悔しかったし、屈辱的なことのように思えることもあった。そうここで良いことの後の反動がやってきた・・・週5日間も本当にやりたいことではないことをして働くなんてこのときの僕には考えられなかった。自分の運命に反抗的だった・・・

レッスンは続く。ただし、ダンスを踊っていたときのように自分に大きな変化は見られなかった。このままじゃまずい。こんな状態をずっと続けていたらすぐに年月がたってしまうと焦った。そんなときにある人物が僕に大きなチャンスを与えてくれることになる・・・

例の学園ドラマでは、いつも芸人枠がある。その友人だった芸人がグループを解散したと言ってきた。そして、彼が同じ養成所に通いたいと言ってきた。あっという間に彼は養成所に入ってきた。かなり強烈なキャラクターで彼がこの養成所に大きな影響を与えたことは間違いない。ドラマの撮影中は、正直僕と彼は最初、馬が合わなかった(苦笑)よく戦っていた気がする(笑)でも、いつしかいつも冗談を言い合うような仲になっていた。そして、彼からひとつの提案がされる。

「養成所内でお笑いをやらないか??」

と。実際、お笑いグループは養成所の中にいくつかすでにあった。でも・・・「自分がお笑い??」お笑いをやったら自分はどこへ行くのだろうかと思った(笑)それでも、俳優の勉強をしながらお笑いの勉強をすることは不可能じゃないとわかっていた。そして、他のどんな俳優がお笑いについてしっかり勉強しているだろうと思った。可愛くてただ愛想のいい俳優になることだけはごめんだった。(自分は可愛くはないけれど(笑))だから他の俳優とは何か違うものが欲しいと思った。そうして・・・

「一緒にお笑いやろう」

と答えた。俳優じゃなかったのかい!!とはぜひ突っ込まないで欲しい(笑)養成所の中ではダンスをやる機会もあったので、僕は完全なフリースタイルになった。今できることをやろう。それだけだった。




お笑いも演技ぐらい奥が深かった。お笑い芸人と劇団員がやるコメディは根本的に違う。どちらがいいかは別として、これは両方とも学べる良いチャンスにもなった。間や強弱だけではないもっと深い要素がお笑いにはある。それを熟知していた元お笑い芸人の彼は、若くしてすごい才能を持っていた。このときの彼は確か21,22歳。僕とは2,3歳離れていたんだけれども、気にせずタメ口で話していた。年上でも対等に話せる彼は貴重な存在だった。

それからお笑いを磨いていく。演技のレッスンは僕にとって、相方と一緒にやるお笑いのレッスン程濃いものにはならなかった。どちらかというとお笑いから演技についても、この頃学んだことは計り知れないと思う。

僕の人生は半年ごとに進行していく。これはもう僕にとって当たり前のことのように思える。

僕らは徐々に息が合っていき、徐々に良いコンビネーションが生まれ始めた。そんなときだった・・・僕は我が強い。でも、相方も僕と同じぐらい我が強い。そんな彼が、養成所の人とある小さなことでぶつかってしまう。そして、それはヒートアップしていき、ついに彼は養成所を去ることにした。まさかと思った・・・こうして、僕と相方の約半年間のお笑いグループに終止符が打たれた。これからが勝負というときだった。でも、今考えるとこれがなければ、ひょっとすると自分が芸人になっていた可能性もあると思う(笑)あくまで可能性の話ですが・・・

そして、いつものまたレッスンの日々が始まった。演技のレッスン。歌のレッスン。週に一回ではあったけれど続けていた。そして、まだ夢のために働くことに関して僕は素直になれなかった・・・週にたった一回好きなことをやるために生きてるわけじゃないと思った。これは悪い流れだと思った。そして、レッスンには僕はあまり刺激を受けることができずにいて、そして、どうやって自分の演技力を磨いてゆけばいいかさえもはっきりしなかった。それから半年も経っていない頃に、僕はある決断をした・・・

もう養成所を辞めよう。

そこにいて、学ばせてもらったことは本当にたくさんあるし、仕事もさせてもらった。その感謝の気持ちはもっていたけれど、それからはもっと挑戦でき、自分を成長させる場所を探していかなければと思った。そして、また相方が辞めてからまた約半年に、今度は自分がその養成所を去ることになった。ライバルでもあって仲良くしてもらった仲間のみんなにも別れを告げた。今度またいつか業界のどこかで会えることを願って。

このとき2006年の2月。事務所にも養成所にも属さず僕は、本当の0からまたすべてを始めることになる。

これからの僕の人生はどんどん地味になっていく。でも、向かっていく方向は正しかったと今はそう思える・・・


続く・・・


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