<< 渡辺竜平のハリウッド片道切符 第2回 ハリウッド挑戦者〜足跡其の二〜 | main | 渡辺竜平のハリウッド片道切符 第4回 ハリウッド挑戦者〜足跡其の四〜 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


クリックが励みになります!
ブログランキング・にほんブログ村へ人気ブログランキングへ
| - | | - | - |
渡辺竜平のハリウッド片道切符 第3回 ハリウッド挑戦者〜足跡其の三〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符



さぁいよいよ冒険が始まった!!新しい世界に飛び込む準備が着々と進んでいた。中学3年生になり、何かが自分の中で弾けた。ちなみに言っておくけれど、今までの連載では、その時々の気持ちになって書いていたから、なんとなくお堅い印象があったかもしれないけれど、今日からは違う。僕の文章もそろそろ弾けて良い頃だ(笑)どうか、最後まで付き合ってもらいたい。


さあ、中学3年生になった。新たな気持ちで新生活に挑むけれど
当分の間はそれまでと全く変わらない生活を送っていた気がする。そんなある日、ある封筒が届いた。しかも、2通(笑)今度はどんな塾の案内だよとちょっと飽き飽きしながら封筒を見る。何だこりゃ??見たことのないような達筆で自分の名前が書いてある。挑戦状か??いや、違った。「そうだ!!」この3ヶ月から半年ぐらい前に応募したのだった!!かつて中学2年生のときに林間学校で踊りを参考にさせてもらったアイドル・グループの事務所に!!書類審査を通過したのだった!!人生初の書類審査に通過した。だからといってパーティーとかはしなかったけれど・・・そうそう、忘れてはいけないもうひとつの封筒があった。また、自分宛てだ。これは印刷で自分の名前が書いてある。ん??これは・・・

それも紛れもなく以前に応募した雑誌のオーディションだった。確か1,2ヶ月前に(汗)

全く違う日に応募したオーディションに、全く同じ日の同じ時間の便で通知が図られたように送られてくる。
(いやっこれは絶対に図られたな(笑))ダンスを地味に始めてから約半年。僕は初めて、華やかな世界が目の前に拡がっていると気づく。(少なくても、そう思っていた(苦笑))そうして、人生初めてのオーディションに参加することになる・・・


新学期も始まって、もう6月になる。6月は僕の生まれた月であるけれど、、このときはそんなことは関係なしに勝負の月になった。オーディションで何をやるか全く予想のつかなかった自分は体を柔らかくしておいた以外は特に準備もせずにその当日を迎えた。無知ってことは怖い(笑)場所は都内の若者が集う街・・・僕は生まれてからこの街に来たことがなかった。心配だということで母親が一緒に行くことになった。まあ、僕自身まだ千葉の香りをぷんぷん漂わせていたので、しょうがなかった。このときも新しい世界を初めてみることができた。町並みが何か都会っぽいなと感じた。このときの僕は緊張していたかもしれないけれど、やっぱり嬉しさに混じったある種の興奮の方が大きかった。だから楽しみでしょうがなかった。僕と母は田舎に住んでいることを証明するかのごとく、30分以上その界隈をひたすら歩き回る。地図もあるし、建物も見えるんだけど、どこから入るかわからなかった。かなり壮大なところでオーディションが行われた。ぎりぎり、時間15分前に僕は大きな入り口から入り、厳重な警備を抜けて会場へ向かう。母が入れるところは、限られていたので、その先は一人で向かう。時間は確か14時集合だ。エレベーターを上がるとそこには、それらしい連中が何人かたむろしている。きっと同じ目的で来たのかなと思った。僕は本当のぎりぎり10分前ぐらいに中に入る。このジャスト行動の性格は今も昔も変わらない(笑)・・・そこで特に印象に残ったのは部屋の番号札だった。



受付を済まし、僕は中に入る。驚いた、数え切れないほどの少年が中にいる。

こんなにたくさんの少年は全校朝礼でしか見たことがない。僕はその中に加わり、最初のオーディション内容であるダンスをやることになった。今までのレッスンの成果を発揮するときが来た・・・


ここでこのときの学校生活についても、少し触れたいと思う。野球部の僕らは野球部の大会目前で最後の練習に挑んでいた。そんな頃、実戦に慣れるため、練習試合を積んでいた僕ら。僕はこのときも時間を見つけては、新宿にダンスの練習に行ったりと二重生活を始めていたのだけれども。そんな僕に、野球の実力のなさが出てしまう事件?が起こる。

ある練習試合に出場した僕はセンターを守っていた。守備をしている僕に高く跳ね上がったフライが飛んでくる。

一瞬掴み掛けた僕はなんとポロリと致命的なエラー。同級生や後輩たちの見ている前で野球人生最大の恥をかくことになった。これは正直今でも忘れがたい(苦笑)そして、顧問の先生から止めの一言が・・・「お前のグローブには、鉄板が入っているのか」と。生徒たちには爆笑される。
それが中学生のときにかいた一番大きな恥(苦笑)このときは、さすがに硬式用グローブを恨んだ。そして、軟式野球にそれを持ち込んだ自分も(笑)・・・野球の才能は未だ開花しなかった・・・



進学についてももちろん考えた。高校はどこにしようか??あまりいいアイデアが浮かばなかった。それに自分が今後どうなって行くかが全く見えなかった。だから公立の学校にでも行ってやりたいことを見つけようと思った。でも、全部の学校が同じに見えて仕方がなかった。そんなときに電話であの事務所から僕がレッスンをこれから受けても良いと言われた。受かったわけじゃないんだ。でも、何はともあれまだ続けられる。複雑な気持ちだったけれど、これからやれるだけやろうと思った。そして、高校では、学校の後とかの時間短縮を考えて、家から一番近い学校を選ぶことにした。そうすれば、自分がやりたいことに専念できると思ったから。そして、その学校に同じく通う兄からちょろっと情報収集をして、その一番近い学校に行くことを完全に決めた。兄をコピーしたわけじゃないけれど、一番良いだろう学校を先に取られちゃったんだから仕方ない(笑)



すべての事が同時進行していった。何一つ僕のことを待っていてはくれなかったのでこのときはいろんなことを全部ガムシャラにやった。ただ、二つのオーディションが進んでいくうちに両方を同時にやっていくのは無理な事に気づき、ある雑誌の方のオーディションは辞退を申し出てしまったのだけれど(汗)・・・かなり失礼なことをしてしまったんだけれども、やっぱりこの業界については相変わらず無知だった・・・



そして、数ヶ月後にステージに立つことになる。あくまでバックダンサーとしてだけれども、今度は土のステージではなかった。お客さんがたくさんいる中でダンス。しかも、余裕で100人を超えるお客さん。僕は、ビビってまともに踊ることすらできなかった。こうして、鍛錬の日々が始まる。でも、僕は他の先輩に比べると明らかにダンスが下手だったし、そもそも比べるレベルではなかった。仕事ももちろん何もない。研修生としての練習の日々が始まった。こうして、これから一年ぐらいはこの状態が続く。



そのとき、学校ではどうだったか??部活では高校の野球大会で良い成績を残して、僕らは野球部を後にした。僕は特に何もしていなかったけれど(汗)このときも二重生活を続けていたけれど、まだ、何も残していない僕は、それを暴露するには早すぎると思い、当分芸能のことは秘密にしていた。いずれ、自然にばれてしまったのだけれど(汗)高校受験では、前から決めた家から一番近い学校ともう一校の合計二校を受けることにした。友人達の中では四校ぐらい受験している人が多かったけれど、どうせ行くのは一校でしょと腹の中では、行く場所を完全に決めて受験した。そして、それから第一志望の高校に合格し、行くことになる。野球部では、へたれだったかもしれない自分。でも、裏では華やかなステージを踏み始めた。いつしか僕の生活の中では何かが逆転して、芸能の世界に生活の重点を置き始めていた。



オーディションから約一年が経っても、僕は前と同じようなポジションにいた。何かが違う。これじゃあ、野球部のときと同じだ!!僕以外の子達はみんな小学生からこの世界に関わっていた。僕が始めたのは中学2年生のとき。ここでも出遅れた。とは絶対に思いたくなかった。だから必死になって考えた。みんなと同じだけ練習しても、みんなより踊りを確実にうまくなることはできない。気づいた。自主練習がどれだけ大切かを。こうして、高校で新生活を始めた僕は、部活には属さず、学校が終わってから家で、ほぼ毎日約2時間ダンスの練習をすることになった。自分の踊りのひどさにこのとき気づいたし、自分で自分の悪い点を直す能力があれば、場所を問わず成長できると思った。逆にこれだけ努力して一年後何も起きなかったら、僕には相当才能がないのだろうと思い、この一年で少しでも結果が残せなければ辞めようとまで考えた。音楽なんて中学2年生ぐらいまではまともに聞いたことなかった。かなりアウェーな世界によく足を踏み入れたものだと今になって思う。でも、とにかく茶髪の同期の連中達にはなぜか絶対に負けたくないと強く思った。



高校生活は充実していた。新しい仲間や新しい環境。毎週か二週間に一回のレッスン。すべてが順調だった。仕事を取れない以外は・・・
だから僕は本当に決心した。どんなに時間を割いても良いから仕事を取ると。もうこのときまでには、自分の好きだったゲームをやることすらも封印していた。高校生の一番ゲームとかが楽しい時期だったので、それを止めるにはかなり苦労した(笑)高校生、中学生だったら痛いほどわかると思う(笑)僕はすべてを捨てる覚悟でいろいろな面でプロ意識みたいなものを持ちたいと思った。まあ、ダンスは相変わらず下手だったけれど、自分のダンスの小さな変化に気づくことができるようになっていた。こうして、小さな成功と失敗を重ねていく。僕がこの世界を選んだのは、ここが勝負の世界だと思ったからということは僕自身忘れてはいけないこと。スポーツも勝負の世界。スポーツ選手を目指すなんて考え始めた頃から根本的な考え方は変わってなかった。自分を試したい。こんな自分でも、どこまで行けるか知りたい。自分の限界はどこだ。そして、自分の本当の居場所はどこだと。



自分の弱さとの勝負が始まった。他の人に勝つ前に自分に勝つ。それをモットーにやってきた。

そして、その生活が始まって半年以上が過ぎたときに、次第に自分のポジションが変わり始めた。いろいろな面でなぜか自信を持てるようになっていた。そう何かしらの変化が見え始めたのだった・・・


夢の世界に飛び込んで現実と戦う日々。何度も苦心したこともあったが、その努力が少し報われるようになるのか!?・・・



続く・・・


クリックが励みになります!
ブログランキング・にほんブログ村へ人気ブログランキングへ
| コラム[Column] | 14:16 | comments(0) | - |
スポンサーサイト


クリックが励みになります!
ブログランキング・にほんブログ村へ人気ブログランキングへ
| - | 14:16 | - | - |
コメント
コメントする










© 2008 - 2016 ryoheiwatanabe.com  All Rights Reserved.
新卒採用2018 | GMOペパボ株式会社
-->