今日は、大きな報告をするべくブログを書きたいと思います。長々と書きますが、時間があれば、お付き合いしてもらえればと思います。
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数日前にも書いた人生最初の土のステージに立ってから、今年で12年目。その期間にいろいろな事が起こり、何もしてない間も多少はあったりしたけれど、ずっと何かを追い求め続けてきた。自分の方向性に疑問を持ち、何度か方向性を変えてきた。でも、それは、諦めではなくて、常に、前に進むことだった。自分が目標としたことは、小さなことながらも達成してきたことには、自信を持ちたい。もう人生の半分の時間をこれに費やしてきたと思うと、怖いような、あっという間だったような(苦笑)
19歳のときに、ふとしたきっかけで渡米を決意。それは、ハリウッドの本場で自分を試したいからということだった。「何もできなかった自分がハリウッドでできれば、多くの人に何かを与えることができる。」という気持ちを持って行った行動だった。それから準備期間の約2年弱を終えて、2007年に渡米した。言ってみれば、この挑戦に丸々7年間費やしたことになる。小学校にいる期間よりも長い時間を費やしたと思うと、時の流れを感じずにはいられない。まあ、だからってどうってことでもないけれど(苦笑)
アメリカでの時間は、超特急並みに過ぎ去っていった。最初の1年間は、右も左もわからずに、オーディションに行きつつも、足場を固めようと必死にもがいていた。周りから来ると泳ぎの下手なカエルみたいに見えたに違いない(笑)英語、演技を勉強したり、いくつかのレッスンを受けたりもした。音楽とかについても基本の部分で勉強したりもした。そして、それから人生の大きな起爆剤となる「映像製作」に出会った。20歳のときに、自主制作映画に俳優として起用してもらい、そのときに映像にとても興味を持った。その興味が再燃した形となった。映像を2008年に少し勉強し始め、2009年に本格的に勉強し始めた。それから映画に対する態度やひょっとすると人生観までもが変わったかもしれないと思う。今思うと、人生で正しい決断をできたと強く感じることができる。
それからしばらくして、今年2012年にようやくハリウッドで働くことができるようになる。今までとっても大きな仕事をしたことはない。けれど、ハリウッドスターや音楽界のスターなどを現場で見ることがあったりはした。演技の絡みがあったわけじゃないので、まだ、自分をハリウッドの役者としては、呼ぶことはできない。そういう生活をして半年以上経っているが今だ。こっちに来た当時は、漠然とハリウッドで役者になると思い描いていた。夢と現実の狭間で揺れつつ、その中間を進んできたのかもしれない。それでも、今、ただひとつ言えることがある。それは、自分が表現者としてやりたいことが完全にはっきりしたということ。もし、音楽家だったらロックをやりたいとかクラシックをやりたいとかあると思うけれど、そういう部分がこの一年間ではっきりとした。
ここでの夢を追っているうちにはっきりしたのは、それだけじゃない。もうひとつはっきりしたのは、自分のアイデンティティーだった。「自分とは、誰か?」ここで、自分がやっている意味って本当は何なのかとかも考えたりした。ここには、日系二世や三世の人がたくさんいる。その人たちが持っている日本に対するイメージは自分と若干違っていた。そして、そして、日本のアニメなどの多くの作品が履き違えられて、ハリウッドでリメイクされているも現実だ。これをどうにかするのが、日本で生まれた自分がするべきことなのかもしれないとも感じた。外国人で日本好きの人にたくさん出会った。以前にも書いたアジアに住む英国人の製作者の友人も本気で日本文化をプッシュしようと頑張ってくれている。そんな中で、自分が自分のことだけをプッシュすることに精一杯で、それで本当にいいのかという疑問も生まれた。
話しは少し戻って、演技で自分がやりたいこと、それは・・・
アクションだった。2011年末に実は、決意していた。「2012年はアクションを学ぶ」と。それから殺陣を勉強させてもらい、舞台にも出してもらう機会をもらった。人生初めての経験が満載の2012年は、今日まで瞬く間に過ぎていった。超特急なんかの比ではない(笑)ちなみに、例の英国人の彼は、カンフーのマスターだ。幼い頃から師のもとでひたすら勉強してきたらしい。その彼とも偶然な出会いだったのだけれども、自分が思ったことがまさに、引き寄せられたかのように起こった年だった。そして、今現在の10月に至る・・・
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とピンからキリまでたくさん書いてしまいましたが、結論的に言いたいことは・・・
「一度、日本に帰ろうと思います。」ということです。でも、それは、僕にとって戻るということではなくて、新しい挑戦です。ここで学んだことを日本へ還元したいという気持ちもあります。ここで挑戦し始めた頃は、世界=ハリウッドだと思っていました。でも、今、世界はココだけじゃないことに気付かされました。そして、自分がやりたいことが違う側の世界でより効果的にできるんじゃないかと思っています。だから日本やアジアまた違う世界でどこまで自分が今できるかということに興味も持っています。ただ自信のある長編作品を書いたので、それがスタジオで受け入れられれば、その作品のためにココに戻ってくるのは、ありだと思ってます。気持ちとしては、より大きな世界を見て挑戦したいと思っています。まだ、世界を目指したいという気持ちは変わっていないので、これはものの見方だと思います。これがどう動くかは、これからのお楽しみということで・・・結局、昔から持っていた冒険心がより大きな夢に向かって僕をまだ突き動かしているのだと感じています。根本から釣り人のマインドは悲しながら変わっていません(苦笑)
今まで密かにブログを読んでくれている方ありがとうございます。更新も途絶え途絶えですが、元気にやってます。これからも大きな目標に向かい夢を叶えていくつもりです。こっちにいる間に、あと何回更新できるかはわかりませんが、頑張ります(苦笑)
それでは、また近いうちにお会いしましょう!!
数日前に上がった、それほど遠くないところでのきのこ雲は、どうやらもう跡形もなく消えたようだ。山火事だったようだけれども、その周辺から上がる黒煙は、とても毒毒しかった・・・山火事が、ここにいる間に以前にもあったので、だいたい2,3念に一回発生しているようだ。乾燥するのも度を越えると駄目だね。
いつも不確定要素がどこかにあるけれど、これから自分の作品も入れて、2作品の製作に関わっていくことになりそう。自分の作品については、準備にどれだけの時間がこれからかかるかは、まだ、わからないのだけれども。
アイデアの部分でより良くするために作品を書き直したり、あとは、英語の部分さらに自分の限界を超えなきゃいけない。よく考えたら、脚本家って職はアメリカで結構人気があるから、こういう英語ネイティブ達と本で戦っていくんだなぁと気付いた。本はアイデア勝負で本当に良かった。
今、実のところを言うと、このまま、脚本をプロモートしていくか、他の方法はあったりしないかなどと考えているところ。常により大きなキャンパスに視野を向けることができればとも思う。最終的には、この作品が勢い良く飛び立っていくのを、サポートするのが自分の仕事だと思う。我が子を見る親の目は、こんな感じなんだと勝手に想像してみる(笑)
今、すぐにこの作品を押したい気持ちもあるけれど、慎重にならないといけないという一面もある。今、ここで、少しの間の我慢が必要だ。この作品の向いている方向は、もう見えているのだから、あとは、踏み外さずに・・・
監督と俳優が両立できないんじゃないかと良く言われる。でも、できるかできないかってその人次第だと思う。僕は、まだ、それを証明できるような段階にいない。けれど、俳優として、自分が向かいたい方向は、少しわかった。自分にあるもの、自分にしかできないものを見つけていくのは、大変だけれども、それを不思議と楽しんでいる自分もいる。
夢を追ってここまで来た。今は、その夢がより大きく、壮大なものに変容していっている気がする。今年は、やっぱり変化の年なのは、間違いなさそうだ。。
2007年7月に役者を目指し渡米。2009年に監督として学び始める。約5年間の歳月をアメリカを拠点として過ごす。2012年10月に帰国後、映像/写真を新たな発信するべく活動中・・・