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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第21回 リアルハリウッド2 〜強制ハイキング〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


奇跡的に空いたコップの穴。前回の更新からもうあっという間に時間が経ってしまった・・・その間に前々から予定していた引っ越しは終わった。ハリウッドへ一歩前進?したかどうかはまだわからないけれど、今回は前回更新から今日までに起こった出来事を書き残したい。

まずは平和な話題から・・・

ハリウッドでウロウロしていて、ある脚本家に出会った。(ウロウロという表現には語弊があるかも(汗))これもまた2パーセントぐらいの可能性での偶然な出会いだった。(そろそろ2パーセントという数字をよく使うことが読んでいる方にバレてしまったかもしれない)彼は20代後半か30代前半ぐらいの年齢で今は脚本家としてエージェントに所属しているらしい。そして、異色の経歴の持ち主で昔は日本でバンドとしてお金をもらっていたり(純粋なアメリカ人ですが)、アメリカで俳優としていくつかの仕事をしたり、時間があるときは役者のヘッドショットを撮ったりしているらしい。経歴が直線的じゃないところに異様な共通点を感じる・・・彼は手探りでやりたいものを見つけ、ただ自分はまだ手探りで泥沼を掘っているという違いを除いては・・・

現在、彼が抱えている脚本は9つ。(スゴい・・・)そして、そのうちのひとつはエージェントにも気に入ってもらっていて、なんとあのスパイダーマンのゴブリン役の役者のジェームズ・フランコが興味を持っているらしい。少し話しは変わるけれど、ハリウッドではお金さえあれば、誰でもハリウッドスターを雇える可能性があるということを知った。それとは別として、ハリウッドの役者自らが興味を持つ脚本を書く彼はスゴい。役者が演じたくなるような脚本とそうでない脚本の違いを自分も理解していきたい。彼とは、日本についてなど雑談なども交えながら会話をした。こういう何気ない会話も、日本人とアメリカ人の考えの違いを理解するうえで重要な材料になる。そして、彼がどうして音楽を辞めて、今の場所に行き着いたかなどもいろいろ話していった。音楽については、音楽業界にはお金がないときっぱりと語っていた。実際、ハリウッドで期待の星のような存在の彼でも、ときには役者の写真を撮ったりしてお金を稼がなければいけない。そう考えるとハリウッドという大きな夢の世界の前には、本当に現実的な世界が立ちはばかることが伺える。外国人だから成功するのが難しいとかそういう話ではなくて、ハリウッドでやるということはアメリカ人にとっても、楽ではない。彼に脚本を書いて自分で映画を作りたくはならないか聞いてみた。映画を作っていたこともあったけれど、それにはとてつもない労力が必要だと言っていた。自分に向いているもの、それが脚本家だったらしい。そして、自分も静かに映画製作を学び始めたことを告げ、話を進めていくと、なんと映像製作の同じ先生を知っていた!!なんていう偶然・・・別にそういう事実を知ってて知り合ったわけでもないから不思議だとしかいいようがない。彼の人生からは本当に多くを学んだ。わからないことにも真剣に応答してくれた彼には感謝したい。そして、彼に少しでも追いつけるようにやってみたい。

この期間、オーディションにも行っていた。以前よりはわずかに手応えを感じてきていた。そして、実は小さな役のオーディションに通過したのだけれども、そんなに話はスムーズに行くはずがない・・・それは、学生として来ているので、労働許可の問題で話が駄目になってしまったということ。簡潔にポイントだけ抑えると、メジャーな作品の大きな役を取るかもしくはエージェントのサポートを受けてビザの申請を行うかしないと働けないということだった・・・これからは予定していたよりも時間はかかると思うけれど、柔軟に対応していかなければいけない。とりあえず、そこの部分は長期のプランになると思うので、しぶとく行きたい・・・

それからいつも通りハプニングは起こった・・・

もう今となっては何の話題になるかは言う必要はないと思うけれど、それはもちろん車の話題だ。「またかよ!」という友人からの声が聞こえてきそうだ・・・
フリーウェイで快適に高級車と肩を並べながら走る。ただ、僕の車が古いのは、外側だけじゃないので、なめちゃいけない。別になめていたわけじゃない。そして、メンテナンスを怠っていたわけでもない。ただ、それだけじゃ古い車を管理するには、十分じゃないんだ!!・・・隅の隅まで一部の隙も見逃してはいけない。不覚にも今回はまた小さな穴を見逃してしまった。どうやら僕の車は僕にメカニックに転職するように勧めているようだ。そんな勧誘に乗ってはいけない。

何が起こったって??

フリーウェイでの仮初の快適な運転を続けているとエンジンから不吉な機械音がしてくる。正常じゃない。これまでの十分過ぎる運転サバイバル訓練から学んでいたので、何かが起こっていることを感知した。急いで、一番近くの駐車場で車を停めることにした。が

「ガガガガッ・・・」

ハンドルが切れない・・・もう最後の余力も残っていないのか・・・ドラゴンボールのゴハンだったらもう少し頑張れると思い、車がもう壊れても(この時点でなにかがとっくに壊れている)と思い、ハンドルを思い切り切る。停まった。

ホラー映画で、開けちゃいけないドアを開けるかのように、恐る恐るボンネット(ボンネットという名前は恥ずかしながら忘れていました・・・)を開けてみることにした。開けちゃいけないことはわかっている。でも、開けなきゃ何も始まらない・・・見たくない何かがきっと・・・目の前に・・・「オリャ!」広がっていた。。エンジン左部分が茶色に染まっていた。まだ、水水しい。鮮度が喜ばれるのは築地だけだ!!その光景に軽く左フックを浴びせられ、それから車の下部に右アッパーでKOされた・・・
車の下部からは血のようにドロドロと茶色の液体が零れ落ちる。止まる気配はない。勢い余ってまだナンバープレートのない隣の新車の下まで流れ込む。隣の車の持ち主には、ごめんなさいと謝った。

それから僕はテレフォンオペレーターばりに電話をかけ続け、なんとか車をメカニックまで持っていった。やっぱり牽引車は力強い。また、エンジンがやられたか??ハッピーなことにやられたのは、パワーステアリングとブレーキだった。なんだ、そんなことか♪って安くはない・・・そろそろこの車に後悔をしてもいい頃かもしれない。でも、最初の一台ではあったし、ある意味普通じゃできない体験をこの車だからこそできたからなんとも言えない(苦笑)

それから再び電車生活を始めた。引っ越しのおかげでハリウッドとの距離はかなり縮まった。が今回は駅と家との距離が離れた。「丘が足に痺れるぜ!」ってきっとロッカーだったら言うことはほぼ確かだ。バスも見つからず、誰も都合がつかなかったので10km以上の距離を気合いで歩いてみることにした。ジーパンに肩掛けカバン、そして、死なないように買った1ガロン(3.78リットル)の水を手にし、家を目指す。重いから飲んでしまえと水を飲む速度は加速するが足は重い。日陰がないところが100メートルぐらい続くときは少し休息を入れた。体の温度とむき出しのペットボトルの中の水の温度は上昇する。やっぱ、アメリカでかいわ!そう思いつつ、2時間30分後なんとか家に辿り着いた(汗汗汗)アメリカに来てから一番歩いた。

慣れない生活は人生をより難しくする。そういつもと5分違いの全く同じ名前の電車にとんでもないところに連れられてしまった(汗)・・・歩いては帰れない。そして、なんとか都合がついた友人に助けてもらうことになった。彼はそれから1時間以上後に来ることになった。駅のプラットフォームのベンチで来ない電車を待ち続ける。夕焼けにカラスがいないので侘しい。途方に暮れ、しばらくすると・・・まだ、友人は来ていないけれど、突然現れた、白人のちょっと毛の薄くなった感じの良い植物好きそうなおっちゃんが話してきた。


お「ココ座ってもいい?」

僕「はい」

この人は右端のベンチに座り、しばらく携帯ゲームで時間を潰していた。ピコピコと暢気な音が流れてくる・・・そんなムードでは、決してない自分。しばらくして、彼は飽きたのかゲームを止める。そして

お「君はどこに向かうんだい?」

僕「実はどこにも向かってないです」

と事情を説明し、間違ってここに行き着いたことを告げると・・・

お「You poor bastard!(かわいそうな奴だな、君は)」

と映画でしか聞いたことがないようなフレーズを笑って言われた(爆)そのあまりに滑稽な姿に僕も思わず笑ってしまった(笑)

彼は電車で歯医者に向かうらしい。しかも学校付属の歯医者に行くらしい。アメリカの歯医者は半端なく高いが、彼いわく学校付属の歯医者は安いとか。それから彼とは雑談を続け、彼の電車が来たところで別れた。おもろいおっちゃんだった(笑)
アメリカでは、やっぱり年齢を気にせず、言いたいことが言えるのがやっぱり気持ち良いなと思った。年功序列であるってことは必ずしも悪いことではないけれど、大抵の場合はコミュニケーション取る上で壁になるのも確か。日本ではすべてがしっかりカテゴリ分けされ過ぎているような気がすると思った。でも、その几帳面過ぎるところに日本の技術があったりするからなんとも言えないのだけれども・・・

ともかく、それからしばらくして僕にも何とか救いの手が差し伸べられ、無事帰宅することができた・・・

というような行程を終え、今日に無事辿り着いた(笑)
2度目の本格渡米で今度は少しはアメリカの生活に慣れたと思ったらまだまだでした(汗)これからはもっと気合い入れてやってみます。ってより最近、根性試しみたいになっているような気が(苦笑)・・・まあ、望むところなんで(笑)ハリウッドにはとんでもない人達がいるなと最近強く感じますが、やっぱりそういう人達と競えるって、プレッシャーでもあるし、幸運なことでもあると思います。僕は千葉の田舎もんですが、それでも、ハリウッドで何かできるってことを証明しますので!

って割れたコップからこんなに長く書いてしまいましたが、今回も最後まで付き合って頂いてありがとうございます!!
ではまた更新させてもらいます〜!


続く・・・


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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第20回 リアルハリウッド2 〜起承転結〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


今回の話題とはあまり関係がない公園。

オーディション用のレジュメ作りと写真撮影を無事終えた。前回の渡米では、ここまで辿り着くことができなかった・・・だからこの小さな出来事で一区切りをつけたい。そして、いつまでも、ハリウッドにやられっぱなしではいられないので、そろそろカウンターをしようと思う(笑)ということでできた写真とレジュメでオーディションに選んだオーディションに応募することにした。まだ、履歴書の完成度は6,7割程度だったけれど、できる限りのことをやってみた。

数日後にひとつのオーディションの返事がきて「オーディション会場に来てください」ということだった。余計な説明を省いて説明するとまあロックな格好して来て下さいということだった(笑)個人のブログでもこの辺までは少し書いたけれど、これからが長かった・・・まず、自分がロックな服なんて持っていないことに気付いた。このオーディションは映像になるかプリントになるかは少し曖昧なところがあったけれど、とりあえず準備にかかった。まあ、この仕事が取れれば自分の将来の足しに少しでも役に立つと思った。
パンク・ロックなスキンヘッドの人が似合うような服は持っていなかったけれど、ちょびロックなTシャツは自分で持っていたので、それを使うことにした。ただ、ジーンズはそれっぽいものが見当たらない・・・買ったらそこそこする・・・ということで駄目もとでルームメイトになにかそれっぽいジーンズがあると聞いてみた。すると普段はちょいオタクな彼らだけれども(笑)なんと完璧にロックな衣装を持っていた!!(笑)んなアホなと思いながら、何で持っていたか聞いてみた。「ホラ、ハロウィンとかの衣装向けでだよ〜」ということだった。
でかしたぞ!!とは言わなかったもの彼らにこのパンツを借りた。そして、地元のショッピングモールでそれっぽい小物をあさり、少々の手を加えて、衣装は完成した。靴は水陸両用・・・じゃなくて、
スーツと普段着両用の靴を買っていたのが正解だったので、それを使うことにした。そして、当日になった・・・

オーディション時間の1時間以上前から家を出発した。(そうまだ引越しは済んでいない・・・)そして、だいたい予定通りの時間に会場に着く。日本のオーディションとハリウッドのオーディションで違うことのひとつとしてはハリウッドでは
オーディションの時間が曖昧だということだ。まあ、もちろん、ものによってはしっかり決められたものもあるけれど、基本的にはこの時間内にオーディションに来てくださいというものが多い。自由というかなんというか・・・まあ、とりあえず、インターネットが発達してくれたおかげで、迷わずに目的地に着いた。そして、スタジオの中に入る。クーラーが利いていて心地が良い。自分の車にエアコンが付いてないせいか、もしくは、家でエアコンを使わないせいかなぜかクーラーが効いた場所に行くと高級感を感じる(笑)車にクーラーが付いているって・・・贅沢です(笑)これは今の僕にとっては近未来の発想なので、忘れることにしよう(苦笑)ともかく、会場に入り、女性の係りの人に名前を紙に書くように指示される。先着の他の人よりも
早く書き終えたので

、女性に「あら、早い!!」なんて大きな声で驚かれたので、僕もちょっと驚いた(笑)そして、「ナンバーイレブン準備OK?」と言われた。そう僕は11番のシールを胸に貼っていた。なんかワンピースみたいでナンバーイレブンって格好良い(笑)準備ができていることを告げた。そして、スタジオの奥へと足を踏み入れた・・・

5分後

はい、おしまい。早っ!!今回は簡単にイメージと写真だけを見るオーディションだった。まあ、こんなこともあるさ。。と思い、スタジオを後にした。そんなに多くのことはやっていないのでなんとも言えないけれど出来はまあまあだった。
イメージが合わなければ、使われない。それだけだと思うので、深く考えずに次へ進みたいと思う。

購入した本の入った袋。オーディションは終了したけれど、これから他のミッションもあった。それはプリントアウトされた写真を撮りに行くことだった。ただ、夕方じゃないと写真は出来上がらなかったので、それまではいろいろ行きたかった場所を回ることをした。
まずはサミュエル・フレンチ(本屋)に行くことにした。サミュエル・フレンチは役者や映像関係の本などしか置いていない本屋。とにかくそれ系の本の数が半端じゃない。ということで自分に役に立ちそうな本を見て回った。しばらくして本を数冊買って店を出た。それからハリウッド中心地近くをいろいろ見て回ることにした。とそうこうしているうちにワイパーの間に何か挟まっている・・・運転し始めて、また、どっかのチラシかと思っていると裏にはロサンゼルス市の住所が書いてある・・・

やってしまった!!




そうこれは紛れもなく駐車違反のチケットだった・・・車関係では間違いなく問題が発生する・・・路上駐車を失敗した。
もちろん、それもしっかり確認して駐車して、周りにも数台が駐車してあるのを確認したのだけれども・・・カリフォルニアが今貧乏なので、ポリスが神経質なのは本当らしい・・・違反のチケットは大事な資金源らしい。違反のポイントは今回は貯まらないけれど、60ドルの支払いが命じられた。痛い・・・まあ、痛いけれど、これまでに起こったことの数々に比べたらまだラッキーなので、そんなに落ち込む必要はなかった(苦笑)・・・

60ドルのチケットってユニバーサル・スタジオのチケットと同じ料金だから気持ちはユニバーサル・スタジオで行くことにした(笑)この街が自分にとってのテーマパークだ(笑)とそんな発想でテンションを上げて、ハリウッドの中心地を歩いて回ることにした。まだ、写真完成まで時間は1時間半ぐらいある。そして、チャイニーズ・シアターの前を通り過ぎる当たりで、ある知っている人物をを目にした。そうストリート・パフォーマーの中にいた約30歳ぐらいのその女性。それは間違いなく例の女性だった。誰かと言うと・・・

数ヶ月前にふとしたキッカケでここを通りかかったときに声をかけてきたパフォーマー。

Miss P(パフォーマー)「写真撮ってあげるよ〜」

その仮面の女性が一体誰のコスチュームを着て、似ているかもどうかわからない。だけれども、観光客だったこんな感じじゃないのかなと観光客のふりをしてみることにした。日本人と聞かれたので、そう答え・・・

僕「はい」

右脇からささっと寄ってくるヨーダ。フォースをまるで感じない。そう僕らはこの三人で写真を撮ることになった。撮影終了!そして・・・

P「チップ頂戴〜」

と手を差し伸べられた。しかも日本語で(笑)間がうまいっ・・・実際写真は要らなかったけれど、その女性とフォースを切らしたヨーダに1ドルづつ渡して、その場を後にした。

・・・ということことが前回あった。このまま、引き下がったらなんだか負けた気がした。だから近くに行ってみると・・・

Miss P(パフォーマー)「写真撮ってあげるよ〜」

もう写真は要らないけれど、いろいろ知りたいことがあった。

僕「覚えてる?」
P「えぇと・・・日本人の?」

どこまで覚えているかは定かではないけれど、いろいろ会話を始めた。まず、ストリート・パフォマンスについていろいろ聞いてみた。ハリウッドでストリート・パフォーマンスをやるには許可証が要るらしい。それがないと逮捕されるとか(笑)嘘か本当かはわからないけれど、それを試してみようとは思わない(笑)そして、この辺に他にこういったストリート・パフォーマーが集う場所があるかも、聞いてみたけれどわからないということだった。そして、ふと現れた黒人のでかいパフォーマーもなぜか会話に加わって、それからまた少し話して、その場を去った。表現して自分を磨ける場を早く見つけなければいけない。その後、あまり馴染みのないカフェで時間までさっき、買った本などを読んでみることにした。

本を読んでいると・・・ある人に

「かばんを見ていてくれないか?」

と言われた。OKと答え、本を読み進める。そうすると彼が戻ってきて

「君は役者?」

と聞かれた。のでここで役者を目指していると伝えた。雰囲気から彼もきっとそうなんじゃないかと聞いてみたら、やっぱり役者で俳優のユニオンにも所属いるらしい。とちょっと会話をすることになった。エキストラについての話題になる。

彼「エキストラは本当に嫌いだったよ・・・これからエキストラをやるんだったら持っていった方がいいものを教えるよ。ある程度の食べ物とイスと何か本を入れられる小さなバックみたいなものだね」




そうエキストラの待遇は厳しいところがあるらしい。拘束時間だけは長いので、それに備えよということだった。自分もここでエキストラを一度はやってみる必要があると思うので、参考にしたい。他に話したこととしては、彼は今でもトレーニングを続けていて、役者を続けるために他にも仕事をしているらしい。俳優組合にいても仕事は保障はされない。厳しい現実がそこにあるけれど、自分もそこまでまず達しなければ、次のステップにはいけない。ためになる話を聞かせてもらった。そして、最後にお互いに激励の言葉を贈り、僕は店をあとにした。彼からはとてもインスパイアされた。自分もいつかそのに辿りつくと、より強く心に誓った・・・それから、写真を取りに行った。
そして、良い気持ちで家に帰ることにした。


続く・・・


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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第19回 リアルハリウッド2 〜敗者復活戦〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


「勝手に撮っちゃいやん」ということでしょう(笑)

学校生活には、今月でひとまず区切りがついた。「今」が勝負時だ。まだ、正直なところ戦を挑むための準備を行っているところなので、今日は今まで自分がどう演技と向き合ってきたかを勝手に書きたい(笑)こんなに自由にやっちゃっていいのでしょうか?(笑)

今でも僕には、演技力がないですが、これから役者をやる人に少しは足しになったと思ってもらえればと思う。

自分が演技を始めたのは、2004年の終わり頃。以前のコラムで書かせてもらったようにダンス一筋で数年やってきて、18才で初めて演技という言葉が人生にやってきた。正直、演技に自信はなかったし、本当に演技の意味を理解することすらできなかった。まさに英語で言う"way behind"。すごく遅れているという意味で、始めた時期も始めたときの演技力も周りと比べるとミジンコだった(苦笑)そして、2005年になって、仕事をさせてもらう機会をもらった。けれども、そのときの演技で、気にかけていたことはセリフにどうやって抑揚を付けたり、だとか台本の理解も人の助けなしではかなり厳しい状況だった。役にアプローチという意味では、ものすごく浅いところでやっていたと思うし、「役を生きる」という言葉とは、かなりかけ離れたところで勝負をしていた。まあ、このたくさん失敗した頃が自分が人生で初めて、役者に挑戦した時期でもあるけれど。

それからしばらくして、役者と両立してお笑いを元芸人の相方と少しの期間やらせてもらった。ここでいうのも、何だけれど、彼は天才的な才能を持っていた。彼とは小さな舞台でしかやったことがなかったけれど、そこで個人的に演技の部分でも得たものは大きい。あるときは実はテレビ局のオーディションにも行っている。それは、何十組のお笑いグループの中から1組だけを選ぶってことで、結局ダメだったんだけど・・・オーディション前の芸人さん達は見たことないぐらい真剣な顔をしていた。きっと力を取って置いて舞台の上だけで力を発揮する人と普段から面白おかしくやっている人と人それぞれのスタイルがあるのだと思った。オーディションでは自分らとしては120%の力を発揮できた。結果はどうあれオーディション後は気持ち良かった。それまで学んできた役者の演技とお笑いの演技を比べてみると、お笑いの演技の方がはるかに明確で、メリハリがあるのだと気づいた。それは、おもしろいという焦点がズレてしまっていたら、人をとうてい笑わせることなんてできないからだ。でも、結局役者としても基本の部分だと後々気付いた。めちゃくちゃ馬鹿なことを真剣にやれば、コメディになるし、めちゃくちゃまじめなことを真剣にやれば、それはシリアスになる。だからときには、表現者としては同じことをやっているけれど、台本の違いで意味が全く違うものになるということも気付かされた。自分で言うのも、アレですが、小学生の頃は自分はすごい生真面目な性格だったけれど、それからしばらくして、自分がもしかしたらコメディ気質なのかもしれないと思った。それは才能があると言っているのではなくて、ただおもしろいことをやるのがおもしろいと本気で感じたから。

二人で本気でやったら絶対に誰にも、負けないぐらいになれると相方とお互い目を輝かせながら言っていたのだけれども(馬鹿ですから(笑))、あえなく解散することになったので、その機会を失ってしまった(苦笑)まあ、今でも、
自分はいつでも舞台に出る準備はできているから、やるかどうかはこれを2パーセントの可能性で読んでいる元相方次第です(笑)日本で一時帰国中にやるのか、アメリカでやるかは謎ですが・・・それから2006年は演技のワークショップばかりに行っていた。ワークショップというのは、監督や劇団が行うもので、役者志望の人などを演技指導する短期の演技のレッスン。演技に触れてみたい人に一番ちょうどいいものだと思う。この頃は、「自分が演技をやる意味って何だ??」と自問していた。自分である必要は何かと・・・他に五万と役者がいる中で自分である必要はどこにあるということだ。誰かの真似ならすぐにできるかもしれないけれど、それはしたくなかったので自分のオリジナリティを発見する必要があった。もちろんこの頃演技を一緒にした連中には、自分がやっていることは意味を本当になしてなかったと思う。何もやってないように見えたのは間違いない(笑)その頃から日本の演技の講師によって、言っていることが全く違うことに気付いた。だから何かすべてに「はい、はい」と答えて、納得することはできなかったこともある。それからだった。アメリカや海外の演技理論に少しづつ興味を引かれていったのは。そういう関係の本とかも読んだりし始めた。そして、アメリカ人の演技の講師のレッスンも受けたりした。それから渡米までの時期はお金を貯めることばかりしていたけれど、自主制作の映画などにも参加させてもらったりした。どこからか学んだのだけれども、「役者は真実の感覚を養う必要がある」という言葉を覚えている。要は、役者が信じていないものを観客が信じることはできないということ。その感覚をどう養っていくかも役者としては大事な行程だ。とこれは自分に言い聞かせているのかもしれないし、まだ自分でも勉強しなければいけないことが山ほどある。

2007年の第一の渡米では、短期の演技レッスンしか受けれていないけれど、そこで学んだことも忘れてはいけない。その役の人間が一番何を気にしているか、そして、彼が一番したいことは何か。それをわからずして、その役になることはできない。ひとつの行動が何を意味しているかなどはよく考えると心理学や哲学まで派生しそうだけれども(笑)実際に役者で心理学などを勉強している人もいるらしいから確かにつながりはあると思う。結局役者の勉強って人間に対する理解力を上げることなのかもしれない。キャラクターについてのアプローチもこの頃の大きな課題だった。例えば、服装が何を意味しているかも軽視しがちだけれども、それも人判断する上で重要な材料になるなどのことはこれまであまり考えたことはなかった。このときは役の理解を間違えて失敗したこともあったけれど、これはアメリカ人の中で初めて演技をする機会だったし、日本でした経験とは少し違った質の経験ができた。

2008年は久々の日本での生活。オーディションに行ったりはしなかった。あるときは友人の本読みを手伝ったりして、そのときは役者を一歩下がった視線から見ることができた。実際は演技の現場の近いものと言ったらそれくらいかもしれない。
あとは働くのが7割で、空いた時間に映画を見たりするのが、役者としてのメインのアプローチだったのかもしれない。人生でこのときほどたくさんの映画を観る機会はなかったので、それはそれで面白かった。たまに一日4本映画を見るには、さすがに疲れたけれど(苦笑)まあ、ロードオブザリングのような一連の映画を一日ですべて観ることは一度やってみたい(笑)映画については、またいずれ触れる機会があると思うので、とりあえず、2008年と共に置いといて・・・

2009年。今年は何をやってきただろうか??
役者としては舞台の上で、観客の前で演じるということはしたことがないけれど、「舞台」と「映画」の違いについて勉強してきた。両方の短所や長所について追求してきた。舞台の上では、役者は観客と呼応しながら演技をする。それがモチベーションになるときもあれば、演技をダメにするときもある。これはお笑いと近いものを感じた。観客が緊張していると笑いにくい。疲れてくると笑いにくい。お互いの相互関係があって初めて成り立つもの。
映像は変わらないもの。作品として誰が何度見ても変わらないものだ。自分がなりたいのは、映画俳優だ。それでも、舞台での経験も積んでみたいと思っている。って結局、すべてについてなんでも一度はやってみたいと言っている気がする(笑)それは事実だし、それだけまだ自分が挑戦したことがないものが多いってことか。今の自分はまだ経験不足だけれども、それだけ新しい世界を見ることができると思えば良いか。演技の話に戻るけれど、今は内面の演技と外面の演技の違いについても勉強中だ。フィジカルな面とメンタルな面が役者には必要だ。それらについてはこれからの課題なので、どこまで迫れるかやってみよう。

と忘れかけていたけれど、こんな行程を自分が踏んできたのだと思い出した。大きなことは何も成し遂げてない気がする。ただ、順調に役者役者やっているアメリカ人にはなぜか負けたくない(笑)

まあ、僕は爆弾を抱えた爆弾なので、爆発力はあると思います(笑)それをいつしか映像か舞台の上で見せれるようになるまで、やってみます!!白髪になっていても、受け入れてください(笑)それまでどうかよろしくどうぞ!!

続く・・・


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| コラム[Column] | 14:35 | comments(0) | - |
渡辺竜平のハリウッド片道切符 第18回 リアルハリウッド2 〜ニュートラル・ゾーン〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符





第2の地元。地元の7割は空です(笑)上を目指すにはこれから足場を固めなければいけない。さて、これからどうしようか??



改めてになってしまうけれど日本で役者をやるのとハリウッドで役者をやるのでは根本的にアプローチが違うと最近より強く感じる。日本だと、例えば役者が仕事を探すときはオーディション情報誌などで情報を収集し、履歴書を作って送る。そして、運が良ければ、オーディション会場の地図が入っている封筒が家に届くか、電話がかかってきてオーディションに行く。ハリウッドでは、インターネットでオーディションを探すのが主流になってきているみたいだし、まず丁寧な案内は期待できない。会場の住所は教えてくれても、そこに行く道のりを調べるのも自分だし、全部自分の責任だ。



それと今まで、日本でオーディションを受けるときは年齢と性別だけでオーディションを応募できたけれど、ここでは人種や様々な条件がオーディションに必要になる。今は学ぶことにより重点を置いているためにまだ完全な履歴書はできていない・・・2007年に履歴書を作った時点から変わっている部分も多いと思うし、写真のクオリティも低い。これから本格的に履歴書製作に

取り掛かりたい。ただ、必要以上に焦ることはないので、今回はじっくりとひとつひとつ次の段階に進みたい。実は、昨年、日本に帰ったときに以前に参加させてもらっていた自主制作の監督から映画のデモをもらっていた。そうこのデモの映像を加工して、履歴書用に編集しようとも思っていた。ただ、今の自分にはそんな技術力は身についてないので、それに関しては、人に頼むか、もしくは、勉強して自分で加工するかということになる。もし、映像製作を学ぶとしたら、それも映像編集の役に立つので良いかもしれない。というかいずれかの段階で映像に関して、絶対に学びたい。初めて、渡米したときからその考えはずっと頭の中にあって、今、ようやくそれを実現できる段階にいる。「役者」と「監督」の間に絶対イメージの違いがあると思うから、「監督」としての目線も持っていれば、役者と監督が何を求めているかわかると思う。それも映像製作について今後、学びたい理由でもあるし、単純に自分の映画を作ってみたいという好奇心もある。今、できることはとりあえず、できるだけ試してみて、これから5年以上先に役立てたい。



こっちに来てから気づいたことは自分にとって得意な部分と苦手な部分がはっきりしているということ。学校でしっかり学べるのは、いいけれど、そこで教えられるものがすべてではないし、とにかく型にはまるのが嫌なので、どこか納得できない部分もある。ここでやっていることは本当に正しいのかって。単純に100%受け入れないところは今も昔も変わらずで、本当にこの意地だけでやってきた(笑)そんなこんなでやっているけれど、今は演技のクラスでキャラクターについて勉強中。「キャラクターって何だ?」ってことで。何かで見たけれど「人は自分のことさえ理解できない」ということは本当に当たっている。何で自分が今これをやっているのかって、その理由を見つけるのは難しい。自分のやっていることの意味を100%見つけて、それに直進している人はその道の頂点に立っている人だと思う。僕はまだ自分でやっていることの意味をすべて見つけることはできていないけれど、ちょっとは答えに近づいたような気がしてる。キャラクターを見つけるということは人間の本質的なことを見つけることだと思う。より核心に迫れるようにこれについてもこれからより勉強したい。

そして、勉強するための環境作りも夢に近づくための一歩だと思うので進めたい。



最近、起こった事件(ハプニングは日常茶飯事なので、もうそれが当たり前になってしまっているかもしれないけれど・・・)といえば、それはもちろん車関係になる・・・フリーウェイで走っていると少し手前を右斜め前当たりで違う車線を走っているバイクが転倒したり、自分の少し後ろを走っているセダンが急にスピンするなどのことが周りで起きた・・・幸い他の車にぶつかることもなく両者とも無事だった。だけれども、もし、あと数メートルずれていたらと思うとゾッとする。映画でしか見たことがない信じられない光景を見たり、体験することが当たり前なので、自分のことは自分で守れるようにならなければいけない。そして、これもフリーウェイの上で起こったことだけれども、目の前のパトカーが急にサイレンを鳴らし、4,5車線を縦横無尽に走り出すなんてこともあった。いよいよ自分も逮捕されるのかと思ったけれど、それは見当違いのようだった。後続の僕らの車はスピードを40km/hぐらいまで落としどうやら暴走しているパトカーの怒りが収まるのをしばらく待っていた。約3分の時間が過ぎるとそのパトカーは何事もなかったかのように立ち去った。一体なんだったんだろう??・・・後にアメリカ人の友人に聞くと、どうやらそれは誰か犯罪者を逮捕しようとしているときに一般車を隔離するか、もしくは、事故で車線が封鎖されたときにやるらしい。それにしても、あのパトカーが動き出した瞬間の気持ちは忘れられない。また、違反切符かと(苦笑)また、というのは実際に以前滞在したときにも実は一枚貰っていたからだ(笑)まあ、勇敢にも走っているパトカーを遮るように車線に飛び出し、撃沈した。場所は近所のT字路で信号がないところ。自分のタイミングで右折しなければいけないのだけれども、それで威勢よく飛び出し過ぎてしまった。そして、道路がめちゃくちゃ広くて3線かと思いきや実際は2車線でパトカーの走っている車線にめでたくホールインワンした。そんな勘違いも重なりお縄頂戴となった(逮捕はされてないですが)そんなこんなで10年以上の年季の入った車と運転一年目の自分の運転スキルの夢のコラボレーションのおかげで2007年は四苦八苦していた。今になって、すべてがガラリと変わって簡単になったわけじゃない。とは言っても、自分のことが可哀想だと思っても、何も変わらないので、起こってしまったことはしょうがないから受け入れて次を考えるしかない。



最近は映画監督を目指してる人達や俳優を目指している人達と少し交流する機会があった。今まで良いのか悪いのか日本人コミュニティにいなかったのでここで他の日本人の人達がどうやってやっているのかほとんど知らなかった。ハリウッドでもうすでに役者をやっている人達やそれに挑戦したけれどいろいろな事情で日本に帰ってしまった人達についての話を聞いた。自分が今まで見てきたことも同時に話したので、情報交換というよりかはまるでちょっとしか文化交流みたいだった。役者志望

のアメリカ人がやるべきことと自分達外国人が役者になるためにやることは完全に違う。そして、彼らと同じ質で勉強しても勝ち目はない。そもそもバックグラウンドが違うので比べるのも間違っているかもしれないけれど・・・


今、アメリカで大役を取る日本人が多くなってきているけれど、正直、この人を目指したいというのはない。そこにたどり着くまでは半端じゃないと思うので、その人が達成した偉業は心から尊敬できる。それと同時に自分が本当にやりたいことは何か少し違っている。ポジティブに考えれば、自分が今後やろうとしていることと目指そうとしているところにまだ誰もいないのかもしれない。だからこそよりやりがいを感じる。誰のコピーもしたくない。すべてわがままかもしれないけれど、それに筋を通せるぐらいにはなりたい。



現状は普通の留学生。そして、夢と現実のギャップは大きい。まあ、それを埋めるべく映画「ショーシャンクの空に」で主人公がちっちゃなつるはしか何かで脱獄したように自分も新しい世界を求め脱獄します。いやっ逃げたらダメか(笑)
戦います。





続く・・・


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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第17回 リアルハリウッド2 〜山越えブルース〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


ミニ星条旗アメリカでやって行くか?それとも母国でやっていくか?それは役者を目指している、いないに関わらず、外国人ならみんな一度は考えること。自分はアメリカでやっていきたい。それはここで今までやってきたことよりももっとおもしろいことや意味のあることができると信じているからだ。それを実現させるには、山のように連なっている問題を少しづつ、解決していかなければいけない。

数日前にある友人がアメリカ移民帰化局(INS)に行った。そして、この旗とともにアメリカの市民権を取得した。市民権取得とは、どういうことか?それは完全なアメリカ人になることを意味する。よく言われているグリーンカードを取得すれば、アメリカに永住できる。ただし、永住できるだけで選挙権はない。それだけではない。アメリカ永住権を持っていて、アメリカ市民権を持っていないと自分の母国に帰国できる期間は3ヶ月以内になる。ということは自分の元の国にずっと滞在することはできないから、もし、後々帰国したくなっても、3か月ごとにアメリカに戻ってこなければいけない。だからもし、アメリカに移民するとしたら市民権を取ることが移住という意味での本当の最終的なゴールになるんじゃないかと思う。友人はこの日が来るのを15年以上も待っていた・・・

自分にとってそれはまだまだ先の段階だけれども、今の時点では、移住に関しての完全な答えは見つかっていない。それ以前に労働許可がないからまともアメリカで働くことさえできない。これも日本人俳優達をハリウッドから遠ざけている大きな要因だと思う。自分もいずれこの問題を真っ向対決していかなければいけないことになる・・・

ここで近況について少し書いていきたい。

アメリカで学生としてアメリカ人達と勉強を開始した。これから新しいアメリカ社会の新しい一面を垣間見ることができそうだ。だとしても、いつまでも社会科見学はしてられない。日常の中で自分とアメリカ人の考え方の違いに驚くこともあったりした。そして、ふとあることに気づいた。それはアメリカ人でも、役者を始める段階では自分たち外国人とそんなに変わりはないということ。どこどこ生まれの何人っていう前に「人間」ていう意味では(笑)もちろん、英語の幅やコントロールや機微については違うけれども、根本的な部分を見ればみんなそんなに差がないと思った。ただ、英語を含めて考えなければいけないので、現実は多少過酷なものになるかもしれない。

役者として、挑戦という前に素直に今の気持ちを書きたいと思う・・・

それは家がハリウッドからめちゃくちゃ遠いということだ!!(苦笑)以前の滞在から薄々気づいていたけれど、前回は下見だったのでそれは大きな問題ではなかった。これからは一分一秒を真剣に考えて、価値のある時間に変えていかなければ、次のステップまで行き着くことはできない。そんな中での一日の2時間の運転は大きな比率を占める。ハリウッドに行くには、小山を越えて、ラジオのチャンネルを変えなければいけないと言えば、どのくらいの距離なのか想像がつきやすいかも(笑)・・・
全く渋滞していなければ、その問題は多少はましになるけれど、そんなことはフリーウェイの車線が増えない限りはありえない(苦笑)ということなので、今は引越しを真剣に考えているところ・・・・実は一緒に住んでいるオスカー家族も引越しをちょうど考えているところで、お互いに今後についてどうするかなんて話し合ったりしてもいる。彼らとはある部分で共通の目標を持っているので、プラスに良い影響を与え合えるほど良いことはない。そして、今までお世話になった恩は今後絶対にどのような形でも返したい。

「役者」としての道を生きるまではまだ遠いかもしれないけれど、今、生活の中の何かが少し変わってきた。現実を知り、課題は増えるばかりだけれども、やりがいは感じる。これからは「ハリウッドで役者になる」ではなくて、日本人としてハリウッドでどのように、どんな役者になるかを考えなければ。アメリカ生まれのアジア人とは確実に違うものを人生で見てきたと思うので、それを役として一人の人間として表現できればと思う。

今は浮き足立ってオーディションを受けに行く前に
もう少し根本的な部分を固めていこう。


続く・・・


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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第16回 リアルハリウッド2 〜グリーン・カリフォルニア〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


迫りくる暗雲・・・

色々あったけれど無事に目的地に到着した。これからはもう過去をとことんミスタードリラーみたいに掘り下げて行く必要はなくなった(少しマニアックかも 笑)では、これまでの経緯について・・・

アメリカに戻ってからのこれからの数年間は特に「学ぶ」ことを中心に時間を費やすことになると思う。今までは例えば色々な仕事を経験して糧にしたいと思ってやってきた。これからは今まで蓄えてきたものを「役者」という仕事にぶつけたい。素晴らしい役者は世界に山ほどいる。今の自分と同じようにそれを志しているものは無限にいる。だから今年はラッキーの一歩ではなくて、着実な一歩を踏み出せるようになりたい。もちろん、演じている上ではリスクを取らなければ、当たり障りのない役者で終わってしまうけれど。




まずは学校に行くことにした。もちろんアメリカに住む権利を持っていない自分にとっては学生であることがアメリカ滞在の命綱になる。これから完全に移住する可能性も高いので、それらの問題もこれから解決していこう。

アメリカに到着してから数日後に簡単なテストを受けるために学校に向かった。フリーウェイは2007年にほぼ毎日使っていた道筋とちょっと似ていたので少し懐かしい。なんか変にアウェーな感じがや外国に来ているんだという感じはもうあまりしなくなってきているのかもしれない。もちろん、アフリカやペルー辺りにでも、行けばまた度肝を抜かれる体験をすると思うけれど(笑)

数日後、もう一度クラスを選ぶために学校に向かった。学校はカレッジという日本でいう短大みたいな場所だ。高校からいきなり大学に行くと授業についていけないことがあるのでアメリカ人だったらその中間にクッション代わりに行ったりする。そして、自分のような外国人達も多い。言わば海外移住の関所的存在かな。少なくても、アメリカに限っては。学費が大学と比べて安いのも魅力のひとつ。

とりあえず、頭の中で決まったクラスを選ぼうとする。結果は・・・

ほぼ全滅・・・

ドアホ!!って一体誰に突っ込めばいい?!・・・
どうしてこんなことに・・・どうやらインフルエンザの本当の力がここで発揮されたみたいだ(泣)クラスを選ぶのが遅すぎて定員が埋まってしまっていた。半年後まで本当にやりたいことをせずに待つのか?..大学に行ったことがなかったので取得単位などについても初めて知った。とにかく知識不足だった。ただ、このまま泣き寝入りなんて嫌だった。そして、決めた!!夜間にしよう!!まだ、取りたいクラスの夜のクラスが残っていないかやってみることにした。空いていた(笑)だからある遅いクラスでは9時過ぎまで勉強することになった。でも、まだ、取りたいクラスがすべて取れていなかった。どうにか勉強したいことを勉強できないかと思い、資料を穴が開くほど見尽くした。もう今この資料は古地図みたいな感じで周辺にいい味が出たけれど、その代償としていい方法が見つかった。それは最初のクラスに飛び込みで行き、先生から許可が降りれば、そのクラスに加わることができるということだった。この作戦に決めた!!この一部の可能性を200%利用してみることにした。作戦実行のXデーを待つことにした。

ここで普通の生活について。自分の車の状態は良好だ。そして、保険もある。もう素直に車に乗せてもらいたいところだったけれど、そうタグの期限切れだ!!ナンバープレートに張るシールで1,2年に一回更新しなければいけない。DMV(更新所みたいなとこ)に行き、更新をしようとすぐに試みた。しかし・・・

おばさん「あなたの車は疑われているわね。保険の紙をココにFAXして、3営業日後にココに取りに来て頂戴!」

僕「他に方法はありませんか?」

おばさん「ありません」

車を疑いたいのはこっちの方だ!どうやら更新してこなかったのが引っかかったらしい。
魂の籠もった接客を受け、更新料の約60$を払い、僕はまた今度戻ってくることにしました。

無念とだけ言っておきましょう。

・・・

ただし、車がこの時期一番必要だった。学校のゴダゴダを修正するために必要だった。乗り物はない。
さぁどうする・・・友人たちにはもう何度かお世話になったのでこれ以上は頼めない。ただ、僕にはいつももう一人のいい友達がいる。そうだ。彼に頼もう!!

元気だった、電車君??そう予期しなかった電車生活が帰ってきた(笑)
ははは。こんなのは苦じゃない(笑)1時間以上の電車の旅なんて♪

つまらない行程は抜きにして、クラスを追加できたかどうか??
結果はすべてのクラスで成功した!!これは本当にタイムリーな出来事。4クラスぐらいのクラスを変更してすべて本当にやりたいことのクラスをついに取れることができた。

これからは演技、映像、音楽について勉強していきます。英語については学校ではひとまずは取らないという方向で個人でやることに。それにしてもこんなに好きなことばかりを勉強していいのか??

今まで、本当にやりたいことから一番離れたところにいたので、戸惑いがないとは言えません。思えば、役者の勉強を始めてからもこれだけ時間を割いて集中して勉強したことはなかった。できなかった。環境のせいにはしたくないけれど、そういう環境を選んだのも自分だったと思う。2008年に支払った分がここで少し返ってきたのだからこの環境を棒に振ることだけはしたくない。ただ、今はやることをやるだけだ。4年以上越しに回ってきた何の変哲もないチャンス。自分にとっては重い。

そんなことを言っておいて、反面、学校はインドアだからこれからアウトドアのフィールドに出ていく必要もある。クラスでこんなことがありました、wow!(わお)なんてずっと書いても見ている人にとって面白くないと思うし、そして、自分自身が楽しめない。だからもちろんオーディションにも行こうと思うし、小さな仕事を見つけて行こうと思う。まずはアメリカで役者としての最初の仕事をしよう。




年に数えるほどしか雨の降らないロサンゼルス。最近は異様なほどに雨がよく降っている。本当に何が起きるか予測できない。自分にとっても同じことが言える。人生で雨でスリップしたり、雲行きが読めないことなんてざらにある。

ただ、普段は荒地のように死にかけているフリーウェイの景色も雨の降った後はやけに青々しくなっている。きっとそういうことだと思う。どういうことだろうか(笑)

形を変えつつも9年目を迎えたあくなき挑戦はこれからも続く。


続く・・・


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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第15回 リアルハリウッド2 〜道なき道〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


近隣の樹木
活きの良いインフルエンザ菌にやられ、アメリカ行きは一週間延期になった(苦笑)一年間、風邪ひとつ引かなかったのにこのタイミングでとは・・・なかなか日本もおもしろい。ただこれが最後の困難かと思いきやそうではなかった。

予定が延びたことによる今後の影響はわからない。でも、とりあえず日本で最後の時間を友人達と過ごしたりすることになった。すべての仲間に会えなかったのは、残念だったけれど、またきっといつか会える。そう信じて、時には電話を通して、ひと時の別れを告げた。

一週間はあっという間に経った。今日が渡米の日にちだ。母が空港まで運転してくれることになっていた。空は曇りでなんとも言えなかった。昼ごろに空港に出発した。そして・・・

雪が降った!!まあ、女の子じゃないから初雪と言えども、奇声を上げることはなかった。最後に雪も見れて良かったななんていう穏やかな気持ちは空港でかき消された・・・
空港のロータリーで母に別れを告げた。そして、荷物を持って空港に乗り込む。空港でパスポートとチケットをチェックし、荷物の重量測定が始まった。




Q.ここで質問ですが、空港で預ける荷物は何kgまでだったら大丈夫でしょうか??

A.正解は23kgです!!(※ 空港会社によって異なると思いますので、要注意です)




測定が始まると僕の荷物の重さが表示されました。重さは・・・

42kg




えっ!?

僕「この荷物大丈夫です??」




女性「32kgまではプラス15000円でお預かりしてますが、それ以上の荷物は受け付けしておりません。」

一瞬頭が真っ白になった・・・そして、財布にはなぜだかちょうど1万円ぐらいしか入っていない。元から無理だけれども、荷物を32kgにしていく手立ても断たれた。バックパックには無数の本が眠っていて、一部の隙間もない。

僕「何か方法はありませんか??」

女性「減らしてください。23kg以下の荷物2個までだったら無料でお預かりしていますが」

予備のボストンバックは必要ないと思い、家に置いてきてしまった。お金もない。そして、母には電話が繋がらない。荷物を捨てようか?・・・そう思いかけていたとき・・・

僕「ここに鞄屋はありませんか??」

女性「奥に行けばあります。」

そして、持っていたスーツケースを引っ張って、鞄屋を探す。搭乗までの時間もそんなにない。鞄屋に着くとすぐに店員さんに話しかけた。

僕「大きくて、一番安いスーツケースください!」

ルール無用の問いかけにも店員さんは答えてくれた。きっと焦っている様子が伝わったからかもしれない(苦笑)・・・

店員さん「これなんかどうです??」

16800円。空港の物価をなめてかかってはいけない。スーツケースは諦めた。そして、端の方に見えたボストンバックを見て

僕「ああいうので、良いのはありますか??」

と聞いてみる。そうしたら裏から出してきてくれたのは、大きい布生地のボストンバック、7800円。

僕「これでお願いします!!」

とうとう鞄を手に入れた!!両手に羽のように広げたスーツケーツを引っ張りながら、元の場所へ向かう。そして、これからさぁ仕分け作業だ!!チェックインカウンターの隣のスペースで鞄を全開に開く。空港だと気持ちも開放的だ。このときはそんなに時間がなかったので、そんな馬鹿なことを考えている暇もなかった。
32kgがプラス15000円。そして、23kg以下の荷物2個までが無料だ。ということは・・・

42kgの荷物を半分半分に分けるまでは搭乗不可!!

そんなことを頭に入れ、仕分け作業に精が出る。とにかく重そうな本、本、本を新しい鞄に入れる。そして、両手で両方の鞄をもって、意気揚揚と計量だ!!重量が足りない力士の気持ちもこれで少しはわかる。

25kg

一回目のチャレンジは失敗に終わった。気合いが足りなかった。そして、そろそろ女性の顔も怪訝な顔に変わってきた。新しい人が来て、どうやら休憩に行く時間らしい。今後は思い切って、もっと本をごっそり新しい鞄に移動する。やり過ぎたと思ったがとりあえず測定だ。

21kg

奇跡のような数字が出た!!これでクリアだ!体から汗が溢れて出ていた。そして、なんとか準備が整った。あの女性の方には、今ここでご迷惑をかけたことをお詫びをしたい。




「お手数かけてすいませんでした・・・」

そして、これからゲートを潜って、いや、潜る前に携帯を休止しに行った。もう時間がない。そして、混んでいる・・・なんとか携帯の休止を済ませ、いざ搭乗だ!!このとき時間はあと20分ぐらいしか残っていなかった。ゲートを潜ると全力で疾走した!走る姿がユニコーンみたいだったのは言うまでもない。ただ、10kgを超えるバックパックが両肩に食い込んだ・・・


そして・・・

無事に搭乗した!!これから9時間半の飛行機の旅をひたすら寝て過ごした。映画の一番最初の部分を見逃したので、流れていた最新のスターウォーズを見ることなく・・・そして、中部席の真ん中からはアメリカの大地を望むことなく、アメリカに到着した・・・それは
同時に日本でのミッションが完全にコンプリートされたことも意味していた。

アメリカだ!!!!

アメリカの象徴夢にまで見たアメリカは夢に終わることなく目の前に現れた。この一瞬をどれだけ待ち望んでいたことか・・・成田空港で忙しすぎて、あまりアメリカに着いた感じがしなかった(苦笑)そして、迎えに来てくれていた友人達に約9,10か月振りに再会した。みんな変わってなかった。何か昨日話をしたかのような感じですぐにみんなで車に乗り込み、第2のホームへ帰ることになった。降りしきる雨もいつの間にか晴れ渡っていた。

こっちでの生活が始まった。同じアパートに戻ってきて、また友人のオスカー達とルームシェア生活が始まった。実は空いている駐車場に車を取っておいて、世話をしてもらっていたので自分の車がここに残っていた。2008年の日本に帰国前には一時売ることも考えていたけれど・・・とにかくオスカー達には本当に感謝している。

こっちの生活が始まった。観光気分でいるわけにはいかない。ただ、人生初めての時差ボケを味わうことになり、2,3日は昼寝が必要だった・・・到着した当日にまず携帯電話を手にした。これも以前使っていた携帯電話を使うことになった。そして、どうやら例の車の修理をしなければ、いけないようだった。バッテリーが老朽化して、交換が必要みたいだ。ということでパーツ屋に約80$のバッテリーを買いに行った。修理は友人たちの助けを借りてなんとか修理屋に出すことなく終えた。車に関しては、ようやく保険に入ることができた。保険なしでは、運転できないのがアメリカだ。前回は運転1年目だからと言って、月200$(当時約21000円)を払っていた・・・何の調べもなく家から近いところの保険に入ってしまったのが失敗だった・・・今回は月100$もいかない。そこの部分を大幅に削れて良かった!今回は何に関しても余分なところをそぎ落として行かないといけない。そう日本での昼250円生活をして、ここまでやってこれたことも忘れてはいけない。
ハリウッドで役者になる。今回はそのための下積みにこっちにやってきたようなもの。もちろんチャンスがあれば、どんどん攻めていくつもりだけれども、まず、最初は演技の基礎を学びなおすことにしようと思っていた。だから今回は学校で演技を学ぶことを選ぶ。そして、少なくても2年間は学校で学びたいと思う。ただ、実はその先にも計画があるけれど、その辺はしっかり決まってから報告したい。今は築き始めた生活の基盤を固めているところ。インフルエンザで1週間、渡米を遅らせたことがどう響いてくるからは今後のお楽しみにしたい(苦笑)

ついにアメリカに戻ってくることができた!!

これからやろうとしていることは前回の夢の続きなのかもしれない。でも、今自分の前に拡がるのは決して夢でもゲームでもなくて現実だ。これからは多くのものと戦うことになると思う。それは自分だったり、アメリカの役者、自分と同じ境遇の日本人の人たちや文化の違いだ。戦うものが誰であれ、何であれ絶対に負けたくない!!いや負けることがあっても前に進もう。




限界への2度目の挑戦がたった今始まった。


続く・・・


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渡辺竜平のハリウッド片道切符 第14回 ワタシハジャパニーズ〜覚悟の帰国〜
渡辺竜平のハリウッド片道切符


あぁ鳥よ・・・って感じ(笑)
アメリカから帰国することになった。帰国当日は天気がなんとなく良かった。帰国までは多少いざこざはあったものの、今回は話の線がブレないように過去の自分が難なく無事帰国したことにしてあげたい(笑)
とにかくこの右のアヒルだかカモメだかがどこを見ているかが今でも気になるぐらい印象的だった。

桜が散りかけの頃の2008年04月01日に帰国した。日本は寒かった。そして、迎えの車は臭かった。それは父がよく釣る魚の残り香の影響で(笑)この車で母が迎えに来てくれていた。道路に出ると左右違う車線と車線の幅の違いにびっくりした!!逆のカルチャーショックを受けた。そして、切なくとも、可笑しい現実だけれども、母国では自分が運転できないことに気付いた!!道路を中心にしてみるとここは完全にアウェーだった。そして、自転車に乗っている人を見ていたら何だかおもしろくなってきた(笑)きっと約1年振りに自転車に乗っている人を見て嬉しくなってしまったんだと思う。

夕方に帰宅!ここは自分の家か?!何も変わっていないのに、家の大きさのバランスに違和感を感じた。この感覚がいつもの感覚に戻るまでは数日かかった。そして、家族と再会を果たした。みんな予想通り元気そうで何よりだった。僕は2007年7月から数えて4杯目の味噌汁を片手に家族といろいろなストーリーを話合って、会話には花が咲いた。
実家には愛犬のポチの姿もあった!!もう15歳ということもあって体は少し弱っていたけれど、もう一度会えるとは、夢にも思っていなかったので、どんな姿であれ嬉しかった。今まで世話できなかった分を取り返そうと真剣に思った。家族とのだんらんを済ませた後はしょうもない理由で夜の街を弟と自転車で乗り回した。やっぱり自転車に乗っていることがおもしろくなった(笑)気がついたら夜10時になっていたので、帰宅して就寝した・・・

単刀直入に言うと、今回の帰国の第一目的は「出稼ぎ」だった。でも、帰ってきたのでニュアンス的には「戻り稼ぎ」だ。ハリウッドで次のステップに行くには、どうしてもお金が必要だった。だけどせっかく帰国したのに、それだけじゃつまらない。そして、小さな目標さえ実現できないやつにハリウッドは無理だと思った。理由はどうあれ結果的に1つの大目標と3つの中目標ができた。中目標は自分が言ったことをどれだけ実行できるのか、自分で確かめてみるという意味でも設定した。大目標は「アメリカでの生活資金を貯める」で中目標は「英検準一級合格」、「自転車100kmチャレンジ」、「2008年内映画100本観賞」だった。それぞれに全く共通点がないように思えるけれど、これらが自分にとっては大きな意義を持つものだった。

自分の日本での生活スタイルは思ったよりも早く決まった。アメリカで日本の求職情報を探していたのが効いた(笑)帰国して約2週間で営業系の仕事に就けることになった。この種の仕事は以前の渡米前にもやっていた。早く仕事を見つけられたのは良かった。だけれど、日本の生活スタイルに戻すためにもう2週間ぐらい時間を置くべきだった。この生活に適応できず、ストレスを感じることも多かった。
仕事は週に5回一日9〜11時間前後だった。これは働きに帰ってきたものにとってはずばりその基準値だった。

しばらくして、家では一人で生活するのが厳しくなってきていた老犬の介護をすることになった。時は少しづつ彼の力を奪いつつあった。この仕事をして、数ヶ月は家に帰って、すぐに眠りに落ちる日が多かった。肉体疲労とはこのことかと身をもって感じた・・・

同時期に「英検準一級」の勉強も始めることにした。どうしてこれを選んだのか??それは日本に戻ってきたからと言って、英語の勉強を怠けない為だった。だからその策として、そして、自分を試すために、帰国前にすでにアメリカで申し込みを済ませていた。目標は高く設定すべし!!というのが達人の極意なのかは知らないけれど(笑)

そして、5月頃に「2008年内映画100本観賞」という目標を設定した。これは英語の勉強と俳優としての勉強を兼ねていたので、自分にとっては都合が良かった。これらは似て非なるものだったので、互いに良い影響を及ぼし合う目標だった。そして、人生で一度もやったことがないことに挑戦したかったので、これはやってみる価値があると思った。結局、テレビで知らない誰かが何かに挑戦しているのを見るよりも、自分がその挑戦者になる方が好きだった。

6月はあっという間にやってきた。そして、英検準一級の試験がやってきた。時間を搾り出して勉強したつもりだったけれど、この試験にはことごとく落ちた!!・・・この頃の生活をしつつ、まともにどうやって勉強をすれば、いいのだろうと感じていた・・・そして、次の試験を受けようか考えていたときに、ある人に「英検の勉強まだやってんの??」と言われ、自分が英検の勉強をやっているのが当たり前のように感じ、再び目覚めた。もう一度挑戦しよう!!だいたい英語を忘れないためなんかに試験を受けていても、受かるはずがない。だから今回は絶対に受かると決意し、よりアグレッシブに英語を勉強することにした。ただし、そういう気持ちになったのは、この試験に落ちてからしばらくしてだった。

年内映画100本観賞という目標達成までの流れはゆったりとしていた。どうしても他にやるべきことがあったので、休みの日に1本や2本観ることがやっとということで進行具合はとても緩かった。それでも、このチャレンジだけは実現する自信があったので焦らずに続けた。仕事を始めてから3連休以上の休みを取ることなく働き続けていた。気付いたら7月になっていた。働き始めてから3連休以上の休みを取ったことなかったけれど、8月に取れることになった。なにか面白いことがしたいとだけ思っていた。これまでは、仕事を抜かしては、英検の勉強をしたり、愛犬の世話をしたり、たまに友人に会ったりしたりはしたものの、特にこれといって特別なことをしていなかったと思う。ただ、生活費を1円でも絞るために、節約貧乏生活を続けていたことも自分の中では挑戦だった。これで食費を一日300円以内に抑えて生活をしていた。実家にいたのが救いだった。その頃、1ヶ月に約1回のお店での外食がめちゃくちゃうまかった!!2種の100円パンを組み合わせての昼に比べると(笑)この生活は以前アメリカに行く前にもやっていたので、とりあえず自分の限界を超えないようにやりくりしていた。

4連休に一体何ができるかを考えた。その4連休は偶然にも家族が海に行く日だった。うちの家族はほぼ毎年決まって、千葉の海に行く。そして、少年の頃に密かに持っていた小さな夢を思い出した。それは、「房総半島を自転車で一周する」という子供の考えそうな夢だ。そこで思った。「そうだ、家族旅行に自転車で行こう!!」そこで生まれたのが「自転車100kmの旅」チャレンジだった。要は一日早く家を出て、家族と現地で集合するということだ。もちろん、決まり文句かのようにみんなに反対された。まずは千葉の全域の地図を手にした。そして、かの有名なジャングルのような大手雑貨店などで、パンクを直す道具、持ち運びエアーポンプ、盗まれないための鍵、ライト、蛍光シール、タライ(パンク用)、方位磁針、雨合羽、飲み物約4リットル、食料などを買って、チャレンジに臨んだ。チャレンジの様子はここでは書き切れそうにもないのでブログへのリンクを貼っておきます!
「自転車100kmチャレンジ」 part 1, part 2, part 3


ということでこの自転車での無謀かと思われた挑戦は成功に終わった。(自分ではできると信じきっていたけどね(笑))

良い意味で期待を裏切ることができて気持ち良かった。129kmという距離に結果的にはなったけれど、要はそれを長いと感じるか、短いと感じるかの違いしかないのだと思った。この挑戦からも多くのことを学んだ。こうしてこのチャレンジは幕を閉じ、自分はもう一度、仕事に戻った。

日本の9月と10月は思った以上に寒かった。もうこれ以上、外食は無理だと思った。(自分にとっても外食は、日の光を浴びながらの食事を指す)そして、そんなときに仕事の同僚の人に昼にある場所に連れて行ってもらう。そこでは、時間制でお金が取られる。一時間いたら約500円で、30分なら250円だ。ただし、食事は無料で出る。そこにはカラクリがあった!そっか250円で30分だけいれば、今までとほぼ同じ金額で、暖かい場所と温かい食事が手に入る。そして、牛乳や野菜ジュースがある分、それでも、今までよりも生活レベルは向上している。この生活に決めた!この生活にもカラクリがあって、毎日続けることはできないのだけれども、体は確実に健康になっていった。爪を見ればわかる。

9月の終わり、ついにもう一度英検にチャレンジすることを決めた。もう一度、一から自分を叩き直すつもりで英語を勉強し始めた。このとき、もう日本滞在期間の中間地点は越えていた。時間が経つのは早いと感じた。家では、ひたすらに映画を観続けた。もう映画を100本観なければいけない期限は迫ってきていた。

10月は、英検の一次試験だった。これには、ぎりぎり通過した。そして、自分のボキャブラリーのなさをもう一度痛感することになった。これからは面接の練習に取り掛かった。

11月。ここで、忘れられない出来事が人生で起こる。日本での滞在でおもしろいことだけ起こったと言えば、それは嘘になる。11月の某日、僕は愛犬に別れを告げることになった。歳は15歳だったから人間で言えば、100歳近い。寿命だった。この数ヶ月前から寝たきりの状態になっていた。もうやれる限りのことは全部やった。海外に行ってもう会えなくなると思っていたから元気な顔だけ見れて本当に嬉しかったし、この約7ヶ月間も充実した時間を過ごさせてもらった。今でもこの事を思い出すと、複雑な気持ちだし、その気持ちを綺麗さっぱり片付ける気もないけれど、これだけは言える。彼は自分の中にずっと生き続けると。

英検のテストは刻一刻と迫ってきていた。精神的に集中するのが難しかった。だが気持ちを振り絞って勉強した。また、大好きな電車生活に戻った僕は通勤に約50分を要していた。その時間は英検の試験問題がエンドレスで頭の中で鳴り響くようになった。そして、待ちに待った試験に挑んだ。そして、結果は・・・



「英検準一級合格」

やった!!これは嬉しかった。結果の書いてある紙を開く寸前までどちらかわからなかった。そろそろ、自分自信をもっと信じてあげるべきだと思った。人生の中で失敗はかなり多かったし、現にこの挑戦も一回失敗している。でも、信じ続ければ、いつか必ず道が開けると確信した。ただ、まだ映画100本観賞のチャレンジが残っていたので、気が抜けなかった。そして、アメリカ行きの準備を始める時期でもあった。

日本に帰ってきてから半年以上が過ぎ、ある重要な事実を忘れていた。それは・・・

ビザの失効




ビザを5年分持っていても、5ヶ月以上日本に滞在するとそれは失効になってしまう。それをすっかり忘れていた!!忘れていたことは致命的だったけれど、まだ間に合う時期ではあった。急いで、書類をかき集め始めた。アメリカの学校の手続きもこの時期に終わらせた。いよいよ、この日本での戦いのゴールが見え始めた。

12月は飛び切り寒かった。2年振りに体感する日本の冬は体に堪えた。世間は休日ムードだけれども、そんなものは自分には無縁だった。働いて働き続けた。そして、絶対に逃せないビザの準備を着々と進めていた。アメリカから書類も集める必要もあったりしたので、全神経をそれに傾けた。ただ、映画チャレンジのことも忘れてはいけなかった。物事には優先順位があるけれど、ここで最後の中目標を諦めることは、今までのチャレンジを棒に振るようなことに感じたので、気合いで映画を観続けた。平日でも仕事後に1本。そして、休みに映画を4本観るなんてこともよくあった。年末も近づいてきた。ビザの面接を受けなければ、いけなかったのだけれども、一番早くて予約が入れられたのは年始だった。すべてがぎりぎりの微妙なラインで進行していた。そして、ビザについてすべてのことを終えるとあとは映画を観るのに集中できた。そして、12月30日についに「2008年内映画100本観賞」という目標を達成することができた!!この後に感じたことは100って数字はやっぱり半端ないってことだった。年末と年始は働くことになった。ここまで来たら最後の最後まで目標のために働き通すのが筋だと思った。

年は明けた。2009年は絶対良い年になると確信していた。2008年を振り返ってみると、長期的にこんな生活強度で生活してきたことはなかったので、これまでの人生を振り返ってみても、一番辛い時期だったのかもしれない。多くのことが2008年に起きた。良い事も悪い事もたくさん起きた。だから一言で言い表しがたいけれど、もし、一言で2008年を現すとしたら「苦」だったのだと思う。でも、2008年の目標であった「アメリカでの生活資金を貯める」、「英検準一級合格」、「自転車100kmチャレンジ」、「2008年内映画100本観賞」はすべて達成できた。こんなに多くを人生の中で一年間でやったことがなかったのでここだけは自信を持ちたい。多くのことを実現できたとは思うけれど、「何かを手にすることは同時に何かを犠牲にすること」という名言が事実であることに気付いた。目標は達成できたけれど、辛い時期がなかったとは言い切れない。今まで成し遂げたことは事実として、できなかった事は改善していこうと思う。2009年は新しいスタートでそしてリセットの年になりそうだ。

2009年は思ったよりも早く違うように見えてきた。それもそのはず人生で初めて、ついに視力矯正が必要になった。中学生ぐらいのときから右肩下がりの僕の視力は、今、調子が良くてもきっと0.6ぐらいで、疲れているときは両目合わせても0.4か0.3ぐらいの視力しかなかった。だから見えないものが多くて、今まで苦痛だったけれど、それが視力が悪いからだとは気づかなかった。これからは眼鏡とコンタクトに頼ることになりそうだ。初めて眼鏡をしたときの感想は・・・「世界はカラフルだ」ということ。人生で一度は眼鏡をしてみたいと思っていたので、とりあえずはこのまま行こうと思う。もし、舞台に上がってそれが本当に障害となるようなら、レーザーなどで目を治療することも考えなくてはいけない。舞台や映像の中で生きることに専念するための手段は選ばない。

待ち時間は長かったもののビザ面接はすぐに終わった。そして、面接が終わって3日もしないうちに結果が届いた。ビザを取得した!!そうこれはハリウッドに戻るために日本でやらなければいけないことがすべて終わったことを意味していた。とうとう次への道が開けた。帰国前どれだけ強くこの日が来ることを願ったことか。すべてのピースが揃った・・・

夕暮れ時の地元
この日本での9ヶ月間は本当に冒険だった。それは予想していたよりも壮絶だったかもしれない。でも、学んだことは数え切れない。そして、もう一度自分が歩んできた人生がどういうものだったかどうか再確認することができた。過去と向き合うことは時として痛みを伴ったけれど、そこからもう一度発見できたものもある。これから自分が飛び込む世界は、恐らく今までの人生で経験したことない世界だと思う。でも、今、そこでどんなことが起きようと乗り越えて行ける自信がある。とにかくやって砕ける価値がある夢だからその途中何が起きても自分の人生に後悔はしない。これからは本当の意味での挑戦になる。今までは夢を追っていたとはいえ、自分がいた環境に左右されてきたかもしれない。これからは違う。だから十代の頃に自分がやってきたこととこれから自分がやろうとしていることは本質的に違う。今が自分の人生の主人公になるときだ。

さぁ今片道切符を手にし、ハリウッドに行こう!!


続く・・・


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